*クロコダイアリー

 8月も半ばを過ぎた とある月曜日の朝  ぼくは、仲良しのワニとひなたぼっこをしながら
 話題に窮していた。
 ワニのような生き物と共通の話題を見つけることは とてもむずかしい。
 とくに、8月の うだるように暑い 月曜日の朝には
「きみは、毎日歯を磨くのが大変だろうね」 
 ワニは黙っていた。
 2分ほどして、こう言った。
「ぼくはプロレスラーじゃないし、女優でもないから歯なんか磨かないよ。それに、きみは知らないだろうけど、ライオンだって歯を磨かないんだ」
「じゃあきみは歯も磨かないでどうやって一日を始めるんだい」
 ふたたび2分経過。
「ぼくたちは一日を始めたりしない。一日は始まって終わるだけさ。そうやって中生代を懐かしんでいるうちにぼくたちの一生は終わるんだ」
「さびしくないの?」
 ……15分経過……
「さびしいと思うときもあるよ。でも、しかたがないんだ。ぼくたちは現代的な生き物じゃない。600万年も前から現代的じゃないんだ」
「虚無的なんだね」
 ……さらに35分経過……
「ある意味ではそうだね。でも、それが結局は現実的ってことだろ?」
「ハンドバッグになるってことがかい?」
 気を悪くしたようだった。
 たっぷり2時間黙り込んでから、言った。
「煙になるよりはましだろ」
 確かに、僕たち人間は、ハンドバッグにさえなれない。ただ火葬場で煙になって、それでおしまいだ。それにしても、ワニが皮肉を言うなんて思ってもみなかった。
 で、一応反論してみた。
「それはちょっと違うな。ぼくたちは煙になろうってんで生まれてきたわけじゃない。ただ結果的に煙になるっていうだけさ」
 ワニは、3時間ほど口を開けて西の空を見ていた。
「結果以外に何があるっていうのさ」
 運命論者のワニ
 さすがに、伝統のある生き物は根性がすわっている。
「虚無的なんだね」
 最後に、ワニは、すっかり降りた夜の帳の下で、答えた。
「そう。歯の数だけね」
 無意味な会話だった。
 ワニとしゃべっているといつも無意味になる。
 とてもいいやつなんだけれど、いい友だちにはなれそうにない。
 なぜって、彼の人生は死に至る過程に過ぎないから。

 ぼくは もう一度歯を磨いて もう一度新たに 一日をはじめることにした。
 そして さわやかな息で電話をした。
「なによ、こんな時間に?」
 なおみは言った。
「急に声が聞きたくなったって言ったら信じるかな?」
「あり得る話だと思うわ」
「そうだよ。急に声が聞きたくなったんだ」
「私も、急に声が聞きたいと思っていたところよ」
「あり得ることだと思うよ」
「で、何の用なの?」
「急に声が聞きたくなったんだよ」
「確かに、あり得ない話じゃないわね」
「そう、あり得ることだよ。ぼくは虚無的なんだ。どんなことだってあり得るさ。君のハンドバッグになってもいいって思ってるぐらいなんだから。それほど虚無的なんだ」
「順序立てて話してよ」
「わかった。起承転結でまとめてみよう。まず第一にぼくは腹がへっている。第二にぼくは既に歯を磨いてしまっている。第三にぼくは誰も信用していない」
「それで第四に私と食事がしたいわけね」
「そう思ってもかまわないよ」
「そう思っても私はあなたなんかと食事はしないわよ。第一に私はおなかがへっていないし、第二に私はまだ歯をみがいていないし、第三に私は運命を信じているわ」
「で、第四にぼくのことが嫌いなんだろ?」
「そう思ってもかまわないわよ」
「600万年前からそう思ってたよ」
「600万年前はきらいじゃなかったわ」
「あり得ない話じゃないね。でも、ぼくは歯を磨いてない人間の言うことは信じないんだ」
 電話を切った。
 結局、なおみはワニ以下だってことがよくわかった。
 無意味な一日だった。
――終わり――