10月4日 日曜日 晴れ
 和歌山の疑惑の夫婦が逮捕された。
 ってことで、TV各局はこれまで放映を自粛していた夫妻のインタビュー映像だとかを流していた。
 うむ。
 ここまで2ヶ月間自粛してたってことは、これまで2ヶ月間にわかって溜め続けてたってことで、そりゃつまりこれから少なくとも2ヶ月ぐらいは大量に吐き出し続けるってことだろう。

 マッチ&ポンプ
 ダム&ダンプ
 ヒット&ラン
 リブ&レット・ダイ

   大野、正田(広島)、吉村、川口(巨人)、落合(日ハム)、佐藤義則(オリックス)が引退。

 なるほど。
 来季からは、野球のことは気にしなくて済みそうだ。
 新聞の記録欄でイチロー君の打率だけチェックしておれば事足りる。

●フジテレビは、中田を小出しにしている。
 ニュースJAPAN、プロ野球ニュースの途中で、生映像やらダイジェストをチラリチラリと見せて、なんとか深夜枠の中継録画に誘導しようとしている。
 きちんと生中継できないなら放映権を独占するようなマネはやめてほしい。

 ストリップと言えば、アメリカの高官だかジャーナリストだか(忘れた)が言ったという「日本はストリップだ」という言葉が色々なメディアでしきりに引用されている。
 意味するところは「見せる見せると思わせぶりをするばかりで肝心なところを見せないストリップ嬢の態度と、ずるずる譲歩しているように見せかけながら、決して約束を実行しない日本政府の交渉姿勢と似ている」ということらしい。
 ふん。
 バカな比喩だ。
「あんさんは、関西のストリップを観たことが無いんちゃいますか?」
 と言ってやるべきだ。
「いや、そういう問題ではありません」
「じゃあ、観た上で言ってるんでっか?」
「いや、私はストリップのようなものは……」
「ほう。見てもいないものを見てきたように言うのがアメリカさんのモノの言い方ちゅうわけですか?そら、勉強になりますわ」
「いや、これはつまりもののたとえ……」
「関西のストリップは全部見せますでぇ。肝心なところから何から全開ですわ。あんたらの好きな言葉で言えばオープンちゅうやつですわ」
「いや、見せるとか見せないとかそういうことでは……」
「じゃあ、アレでっか?ワテらがストリップならあんさんはパン助で、そっちの方が素性がよろしいと、そういうことを言いたいわけですな?」
「いえ……」
「ほう、違う。っちゅうことは、どこでも尺八を吹きまくるホワイトハウスの実習生でっか?」
「……いえ、その、アレは……」
「うらやましい話ですわ。ウチらの国じゃ後宮なんちゅうもんは何百年も前にツブされてしもうて……」

 外交には関西人を使うべきだと思う。
 弁解をさせてもイヤミを言わせても関西人が一番だ。
 
 いっそ、国会答弁から役人の通達から何からを関西弁にすれば良いのだ。
 そうすれば標準語のマスコミ連中に突っ込まれても全然大丈夫だ。
 うむ。
10月5日 月曜日 曇り
 寒い。
 明け方、凍死寸前で目をさました。
 一日中寒気が抜けない。
 H容疑者夫妻は留置所で寒い思いをしていないだろうか。
 彼らは今宵の名月をどんな気持ちで眺めているのだろう。
 女房の ひそひそ話 月に傘 
 名月や 我にひそかな想いあり 
 って、そんなタマじゃないか。


10月6日 火曜日 雨
 番組改変期のテレビは、なんだかこの世の終わりのような騒ぎだ。
 観ていると、呆然としてしまう。

 で、オレは、どうやら老眼がはじまっている。
 昨今のテレビCMの急激なコマ割りもそうだが、色々なものがはっきりと見えなくなってきている。

 がっくりしてるかって?
 全然。
 年を取ると、人は老化について鈍感になる。
 そういうふうにできているのだ。

 もし、オレが20歳の頃のままの精神状態で、老眼に直面したらひどく動揺したと思う。

 肉体に合わせて精神が老化して行くというのは、実に理にかなったことだ。

「少なくとも精神だけはいつまでも若い時のままでいたいの、アタシは」
 なんて言っているあんたは、何もわかっていない。
 若い、前向きで、野心的な自意識は、老境に耐えることができない。
 肉体が老いた以上、精神も老いなければならない。
 不活発で、鈍感で、保守的で、頑迷な、狷介不屈の石のような年寄りになるべきなのだ。
 古い靴でなければ、泥道は歩けない。
 シケたせんべいの味わいは、歯茎で噛む者にしかわからないものなのである。
 
 ん?
 うらやましくない?
 そうかなあ。
 オレはあんたがうらやましいけど。 


10月7日 水曜日 雨のち晴れ
 月曜日の俳句は
女房の ひそひそ話 窓に月
 に直した方が良い。
 この方が、砒素混入の密談を照らす月の明かりがより明瞭になる。
 牢獄の窓から差し込む月の光という解釈も悪くない。

 それにしても、実母にも毒を盛ったらしいというニュアンスの報道が出て来ているが、本当だろうか。
たらちねの 母のまぶたや 虫の息

 ●キム・デジュン氏来日。
 自衛官が内縁の妻(韓国籍)を殺害の疑いで逮捕。
 すごいタイミングだ。

オブチ「どうでしょう?内縁の友好国ってことで」
キム「……」
 って、冗談にもなりゃしないけど、どっちかって言えばジョンイルさんの方が冗談はわかりそうだな。
キム「ノドン、テポドン、ハルマゲドンあるが、どれにするか」
オブチ「……は?」
キム「昼行灯」


10月8日 木曜日 雨のち晴れ
 横浜ベイスターズ優勝。
 試合前後のミーティングや夜間練習を排したチームの優勝は快挙だと思う。

 権藤監督の展開するミーティング不要の野球論は、一見新しいようでいて、昔から根強くいわれていたことだ。
 球界での再就職を考えていない元プロ野球選手(江本、江夏、板東)、それに日本のプロ野球を経験した外国人プレイヤーは、誰もが皆口を揃えて言っていたことだ。
・試合前の過剰な練習は首脳陣のマスコミや親会社に対するアリバイに過ぎない。
・懲罰的な練習や過度な生活管理は選手の自主性を奪い、モチベーションを損なう。
・ミーティングは多くの場合愚痴と責任回避に終始する。
 ……とまあ、色々とあるが、要は「野球をやるのは選手だ」ということに尽きる。
 であるからして、監督やコーチの役割は、上記の事柄を踏まえた上での、試合中の采配と選手のための環境作り、およびマスコミ対応といったところに限られる。

 反対する立場もある。
 たとえば、広岡氏は、
「選手の自主性という言葉は、一見美しいが、選手に自主性がないのだからしょうがない」
 という主旨の発言を繰り返しているし、また
「アメリカの球界で放任が好結果をもたらすのは、シングルAからAAAまでの膨大な裾野と、過酷な競争を前提としているからで、日本の球界では、限られた人材をロスなく育成しなければならない。それゆえ、過酷な練習や厳正な管理が必要になる」
 と常々主張している。
 野村克也氏も大体似たような立場だ。  さればこそ彼は「権藤は野球をナメている。横浜が優勝してはプロ野球のためにならない」とか言って、ベイスターズに3本柱をブツけ、片や恐怖政治の星野ドラゴンズにはローテーションの谷間の百合を与えるといった極端な戦法を取ったのだ。
「選手を大人扱いにするのは、選手が大人になってからの話だ」
 なるほど。
 どっちが正しいのだろう?

 ともかく、自主性尊重の野球は、ここ20年ほど、試みられた例すらほとんどないし、それが勝利したということになると、はじめてかもしれない。

 ……と、野球の話は、かくのごとく、じきに組織論になり、人材育成論に傾いてしまう。
 私が野球に興味を失ってきているのは、このことが原因なのだが、その当の私にしてからが、オヤジ臭い組織論を展開している。
 まったく。
 サッカーの話もそれはそれで理屈に傾く場合があるが、それでも戦術論や戦略論になる分だけマシだ。

 本当に重要なのはフィールドの上で展開されるプレイそのものだ。
 が、昨今の野球中継においては、プレイは試合展開を1コマ分進める、チェスの一手みたいな扱いを受ける。
「あの一球が勝負の分かれ目でしたね」
「あの場面でスライダーを内角のボール球を投げることができたピッチャーの勇気が……」
「長打警戒でライン際を守っていた外野守備の陣形がそもそも……」
 といった意見の方が
「いやー、すごいタマでしたねえ」
 や、
「おお、これはどえらいスイングだ」
 式の感想よりも高度なのだと、彼らは思い込んでいるのだ。

 まあ、日本にとっては、野球がこの調子でひねこびた俗流ビジネス本式組織運営論の深みに低迷して、魅力を喪失して行く方が良いのかもしれない。
 野球が滅びれば、この国の奇妙なアメリカ崇拝も多少は熱がさめるだろう。

 ところで、それじゃあ私がアメリカ野球を理想としているのかというと、そういうわけではない。
 アメリカの野球は、別の意味で嫌いだ。
 ボールパークを背景とし、キャッチボールを小道具に使いながら、いつの間にやら「父子もの」に収斂して行くアメリカ式マチズモの家族物語が、どうにも気持ちが悪いからだ。
 偏見かもしれないが、野球は、アメリカン・ウエイ・オブ・ライフの独善そのものだという気がするのだ。

 全世界が野球をやるべきだ……というアメリカ人の思想は、その内懐に
「アメリカ式のフェアこそが世界標準の正義である」
「アメリカ式の民主主義だけが唯一有効な民主種主義である」
「ハンバーガーは文明食だよ」
「ジーンズをはかない若者は中世に属している」
「自動車のない場所に恋愛は発生しない」
 という主張を含んでいる。
 で、アメリカはイエズス会の伝道師みたいな調子でアメリカの子会社に野球を広めようとする。
「キミもキャッチボールをやって、アメリカの仲間にならないか?」
 というわけだ。
 冗談じゃない。
 グラブを持たない者に対してボールを投げる行為は、非イスラム教徒に9月の断食を強要する態度と変わらないぞ。


10月9日 金曜日 晴れ
 林真須美容疑者について、ワイドショーは、どうやらネタを出し切ったようだ。
 で、同じVTRを何度も使い回しているわけなのだが、さすがに毎日同じ話ばかり繰り返すわけにもいかなくなったようで、結果として事実報道から人物批評や憶測に傾いてきている。

 いま、テレ朝の昼ニュースワイドは、例の林夫妻の逮捕前の生活ぶりを「成金生活」という言葉を使ってく紹介している。
 「成金生活」
 なるほど、その通りといえばそのとおりだ。
 が、問題は保険金詐欺の容疑であって、生活ぶりではないはずだ。
 どんな服を着ようが、何を買って何を食べようが、どんな車に乗ろうが、それは、個々人の趣味の範疇に属する問題じゃないか。

 が、ワイドショーは、犯罪のみならず生活を裁き、容疑よりも人生観を問題にし、行動ばかりか人間性をも糾弾の対象にする。
 「高級熱帯魚を飼育し……」
 「外車を乗り回し……」
 とナレーターが言っている。
 まったく。
 彼らが保険金詐欺をはたらいたのであるとすれば、それは非難されるべきことであるに違いない。
 が、外国製の乗用車を購入したことは、これは罪であろうか?

 ワイドショーのスタッフ諸君が「乗り回す」という動詞を使ったのは、やはり「得意げに見せびらかしながら運転して歩く」という意味をこめたかったからなのか?
 「輸入車」「外国車」と言わずに、あえて「外車」という表現を採用したのは、「外車」に「オーナーの空疎な虚栄心を満足させるための露骨な威圧的装飾を散りばめた大型の高級外国製乗用車」というニュアンスが含まれていると判断したからなのか?

 そう。
 「外国製自動車」には「ゴルフ」や「フィアットウーノ」も含まれるが、「外車」と言えば、ふつう「ベンツのSクラス」や「キャデラック」を指す。
 つまり、「外車」は「ぜいたく」で「威圧的」で「デカい」という形容詞をあらかじめ含んだ「輸入車」のことなのである。
 「乗り回す」という動詞も「カローラ」や「ボンゴワゴン」には使われない。
 また、仮に誰かが「ベンツ」を運転したとしても、その人間がベンツにふさわしい(←ってなんだ?これ)人間であれば「乗り回す」とはいわれない。
 
 結局、「外車を乗り回す」という言い方は、言外に「外国製高級車のオーナーにふさわしい人格も識見も品位も持ちあわせていない人物が、単に金持ちであることを見せびらす意図で、デカい外国製自動車を購入して、必要もないのにこれ見よがしに近所を走り回り、横柄な態度でクラクションを鳴らしまくっていて不愉快だわ」ぐらいの気持ちがこめられているわけですね。
 うん。


10月10 土曜日 晴れ、一時雷雨
 JOMOカップは日本選手選抜が3-1で勝った。
 柳沢がハットトリック。
 トーレスの怪我、アジウソンのバテを差し引いても立派だったと思う。
 名波、小野、伊東の中盤も良かった。
 冴えなかったのは西澤。
 あれはアタマが悪いのかもしれない。
 あと、中西もけっこう致命的なミスをしていた。
 外国人選抜(「ワールドドリームズ」という呼び方は恥ずかしくて抵抗がある)にストイコビッチ、ストイチコフ、ジョルジーニョが入っていなかったのが残念。
 
 イギー氏は相変わらずバスルームからの脱出を試み続けている。
 なんとかしてやりたい気はするのだが、どうしたら良いのやら見当がつかない。
「おい、イギー。外に出たってなんにもないぞ」
 といっても無駄だ。
 イギーは、ただ現状が不快なだけなのだ。
 バスルームの外に出て何をしようと考えているわけではない。
 ただただ、闇雲に現状を憎んでいるのだ。
 オレと同じだ。
 この現状にはうんざりだが、だからってほかに何かしたいことがあるわけじゃない。
「いっそ死んだらどうだ?」
 ……
 あんたは何もわかってない。
 「生きていたくない」ということと「死にたい」ということの間には、とんでもなく長い距離がある。
 まして「死にたい」ということと「死ぬ」ことの間にはもっと長い、気の遠くなるような距離がある。
 わかるか?
「じゃあ、どうしたいんだ?」
 ……
 質問の仕方が間違っている。
 何がしたいのかを尋ねても無駄だ。
 何がしたくないのかならいくらでも答えてやる。 
「つまり、腹がへりすぎて、食欲がないってことか?」
 違う。
 吐き気がするのに胃の中が空っぽなんだよ、オレは。
「食えばいいじゃないか」
 吐き気がするのにか?
「うん」
 で、吐くのか?
「うん」
 じゃあ、ゲロを吐くために食うのか?オレは。
「似たようなもんだろ。ゲロでもクソでも」