1998年 9月6日 日曜日 晴れ
 涼しくなってきたせいか、イギー氏の活動昂進状態が幾分おさまっている。
 オレも10時間ほど昼寝をした。
 「睡眠の秋」
 ということを誰も言わないが、不当だと思う。
 夏の間の、暑さゆえの睡眠の浅さを補うためにこそ、秋はやってくるのである。
 読書の秋だとかスポーツの秋だとか、世間の人々は色々なことを言うが
 あさましい
 と思う。
 
9月7日 月曜日 雨
 映画監督の黒沢明氏が死んだ。
 88歳だそうだ。

 テレビの追悼報道を観ていると、あまりの白々しさに「追悼」という作業自体が不潔に感じられてきてしまう。
 で、何の恨みもないクロサワさんに対して
「ふん、死にやがったか!」
 と、ついつい要らぬ反感を抱くに至っているオレは、そうですともへんちくりんな男です。

 が、それにしても、功成り名遂げたご老人の大往生を評するに
「早すぎる」
 というセリフは、不適切であるのみならず無神経だと思う。
「もっともっと映画を撮ってほしかった」
 というのも、ワイドショーの司会者が調子ぶっこいて繰り返すべき言葉ではない。
 いったい、誰がクロサワの新作を待っていたというのだ?
 あんたは待っていたのか?
 新作が上映されたとして、あんたは本当に映画館に足を運ぶつもりでいたのか?

「世界のクロサワ」
 というお決まりの言い方もいいかげんにやめにしてほしい。

 そもそも「世界の」という接頭辞自体が、おそろしいばかりに日本的(つまり、ムラ社会的、閉鎖的、身内大事的という意味だが)だということに、あの人たちは、いったい、いつになったら気づくんだろう。

 しかも、その「世界の」の基準がまた恥ずかしい。
「あの<スター・ウォーズ>のジョージ・ルーカスが心から尊敬しているんですって」
「あのスピルバーグが<映像のシェークスピア>と評したのをご存知ですか」
「カンヌやベネチアでたくさんの賞を取ったんですよ」
 と、いちいちが外国産の権威にぶら下がった評価ばかりだ。

 確かに、スピルバーグは「映像のシェークスピア」と言ったかもしれないし、ルーカスもクロサワに関しては絶賛を惜しまないのだろう。
 が、だからって、外人教師に英語の発音をほめられた中学生みたいな調子で、こう何の留保もなく喜んじゃうのは、大人として恥ずかしくないか?

 
 私には映画のことはわからない。
 が、クロサワが世界的に優れた映像作家だということを証明するのに、いちいちスピルバーグやらルーカスやらを引き合いに出す(←必ず引き合いに出すんだからなあ、まったく)のはみっともないと思う。
 クロサワからすれば、ルーカスもスピルバーグも後輩に当たるわけなんだから、そういう人々の推薦状は、もっとクールに扱うべきだ。

 たとえばビートルズの偉大さを語る時に、「キムタクもファンなんだよ」みたいなことをあんまり強調するのは、ビートルズに対して失礼だと思うのだが、クロサワについてだって、事情は同じはずじゃないか。

 芸をほめてもらった犬。
 と、その仲間たち。
 犬のタロは、とても芸達者。
「まあ、タロちゃん、上手に<ちんちん>ができるわねえ。まるで人間なみだわ」
 と、人間たちにも大評判。
 てなわけで、タロは
「人間のタロ」
 と呼ばれるようになりました。
 仲間の犬たちは
「我々の身内にも、人間並みのがいるんだぜ」
 と胸を張りました。
 って、こんな感じでしょうか。


1998年 9月8日 火曜日 雨のち曇り
 今日も昼中寝ていた。
 マグワイヤは61発目を打った。
 スポーツキャスター氏は、とても嬉しそうだ。
 アシスタントのねえちゃんともども
 まるで自分のことのように喜んでいる。
 どうして他人のことであんなに喜べるんだろう?
 昔からファンだったというのなら話はわかる。
 オレだってレッズが勝った時にはわがことのようにうれしいからね。
 でも、テレビを観ていると、つい最近までマグワイヤなんて名前も知らなかったような人たちが、みんなして、一緒になって喜んでいる。
 どういう精神構造なんだろう?
 あの人たちは、世界中の誰でも、何かを成し遂げた人がいたら、必ず尻馬に乗って感動することことに決めているんだろうか。
 
 うらやましい。
 
 たとえば私は、誰かが自殺すると、それだけで暗い気持ちになるが、それと似たことなんだろうか?
 自分とまるで無関係な、死ぬ前は全然知らなかった人間でも、自殺されると、それなりにコタえる。
 伊丹十三を尊敬していたわけでもないし、hideが大好きだったわけでもないし、ねこぢるに注目していたわけでもないのだが、
 彼らが死んだ時にはショックを受けた。
 尻馬に乗るの反対語は何だろう?
 死に馬に蹴られる
 か?
 
 
9月9日 水曜日 晴れ
 久しぶりに暑い。
 マグワイアは62本目を打った。
 「ニュースJAPAN」の木村太郎は、横でニュース原稿を読んでいるアナウンサーのねえちゃんが「マグワイヤ」と言っているのも意に介さず、なぜか、頑なに「マックグワイヤ」というカタカナ発音を繰り返している。
 やはり「まぐわい」の語感が恥ずかしいのだろうか?
 それとも、何かにつけて自分のスタンダードを誇示しなければ気が済まないジャーナリスト根性の現われか?

 おそらく、現地の発音にもっとも近いカタカナは「マッグワイヤ」ぐらいだと思うのだが、だからって「マッグワイヤ選手」というニュース原稿は、いかにも気持ちが悪い。
 浦和レッズの「ザッペッラ」ともども、扱いにくい選手である。

 ちなみに、「ザッペッラ」の場合、日テレのアナウンサーは「ザッペッラ」ときちんと(実際にこれが本当の発音なのかどうかはともかく)発音していたが、テレビ埼玉の実況アナは、既に「ザペーラ」ぐらいのところまで持ってきている。さすがは、ホームのレッズ戦を全中継しているテレビ埼玉だけに、根性が据わっている。
 サポーター連中は、掲示板などを見る限りでは、どうやら馴れ馴れしく「ザップ」と呼び始めている。
 うむ。
 レッズサポーターには旦那体質があるのかもしれない。
「ペトロビッチ」→「ペトロ」
「ベギリスタイン」→「チキ」
「ブッフバルト」→「ギド」
 日本選手も
「小野」→「シンジ」
「福永」→「ヤス」
 である。
 そんな中で
「福田」→「福田さん」
 と必ずさん付けで呼ばれている福田は、偉大な選手なのかもしれない。


9月10日 木曜日 晴れ

 せんべいを齧ったら奥歯が欠けた。
 なさけない。
 晩年の芭蕉に

 衰ろひや 歯に食いあひし 海苔の砂

 という句がある。
 なるほど。
 さすがは芭蕉。しみったれた心情を詠ませたら日本一だ。 


9月11日 金曜日 晴れ

 午後、巣鴨に行って、夕方は原稿。
 夕食後、Y田氏宅を訪問。
 オレ以外のメンバーは赤ワインを飲んでいた。
 ふん。

 とはいえ、断酒3年を経て、酒飲みに対する感情は、徐々に変わりつつある。

1.禁酒をはじめて半年ほどは、人が酒を飲んでいることについて、ひたすら羨望の念を抱いていた→「いーなー」「うらやましーなあ」「オレも飲みてーなあ」
2.じきに、酒、酒飲みおよび酒席一般に対する敵意、怒りを感じるようになった→「なんだよ、何笑ってんだこの酔っ払いは。オレに対する当てつけか?」「オレが酒飲まないのはオレの勝手だろうが。一緒に堕落しない人間を差別するのか、この罰当たりどもは!」
3.で、最近は、なんだか軽蔑ぐらいのところで落ち着いている→「ま、バカがバカ同士でつるんで、酒飲んで余計にバカになってますます連帯してるってわけだ」

 うむ。
 これまで「羨望」→「憤怒」→「軽蔑」と来たものが、この先→「嘲笑」→「憐憫」→「黙殺」にまで到達すれば、オレの禁酒も本物になるってことだろう。
 親しみ?
 酒飲みに親しみを感じろっていうのか?
 冗談じゃない。
 確かに、世の中には酒を飲む奴なんていくらでもいるし、連中が酒を飲むことでオレが耐え難い迷惑をこうむっているというわけでもない。
 が、だからって、酒飲みを愛せるというものではない。
 たとえばの話、ゴキブリがごく一般的に見られる昆虫で、その被害が知れたものだとして、それじゃあゴキブリに親しみを感じることができるか?
 できないね。
 ゴキブリはゴキブリ、酒飲みは酒飲み。
 とてもじゃないけど、シラフで付き合える相手じゃないよ。

9月12日 土曜日 晴れ

 寝不足。
 不機嫌。
 いずれが原因でいずれが結果なのかは、本人にもわからない。

 夕方、テレビ埼玉にてレッズVSヴィッセル戦を観戦。
 2対1でレッズの逆転勝ち。
 小野、福田のゴール。
 大変にめでたい。
 岡野は途中交代で引っ込んだが、よくやっていたと思う。
 得点はゼロでも、ただただ走るだけで相手DFを腐らせてラインを下げさせられる選手はそんなにいない。