9月17日 日曜日 雨のち晴れ
 午前中、激しい雷雨。
 警戒してPCの電源を落とす。
 と、何もやることが見つからない。
 テレビも見たくないし、活字もまっぴらごめん。
 パソコンが動いていないと何もできない。
 私は周辺機器なのかもしれない。
 というよりも、一種のネット端末か。
 
 午後、母親ほかご老人二名を歌舞伎座まで搬送。途中土砂降りに会う。
 ルートは赤羽から王子三丁目を経て明治通りを大関横丁まで直進、泪橋を右折、そのまま吉野通り・江戸通りを行って、小伝馬町を過ぎたところで昭和通りを左折→晴海通り左折→歌舞伎座。四十分ほどで着いてしまった。日曜日は都心を通らない方が賢いのかもしれない。
 帰り道は、出来心で不忍通りを通ったのが失敗。沿道中祭りだらけだった。谷中の墓地から団子坂まで30分もかかってしまった。
 根津駅の周辺は盛大な人出だった。何か名のある祭りがあったのだろうか。
 どこから出てくるのか、ふんどしのオヤジや法被姿の姐さんたちが大挙歩いていた。
 たぶん、本人たちはあれで粋なつもりなのだろう。
 私自身の好みを言うなら、暴走族のツナギの方がまだ好感が持てる。まあ、子供の祭り装束だけはやっぱり可愛いと思うが。
 いっそ、和服は十歳以下の子供用衣装に限定したらどうだろう。渋カジの子供だとかブランドもので身を鎧ったイヤなガキを駆逐するためにも、子供には和服を強制した方が良いかもしれない。
 大人の和服は禁止だ。旅館の寝巻きはもちろん、ギャルの浴衣、銀座のママの辻が花、踊りやお茶みたいな家元制に通じるところの和服もすべてご禁制。作務衣やらといった詐欺じみた衣装も軒並み焼却処分にすると良い。
 となると難しいのが、夏場の海で不良少年が着る甚兵衛だ。
 あれは、禁止だろうか。
 特例として認めてやるべきだろうか。
 私は認めても良いと思う。
 夏場の若い者の甚兵衛と、冬場の爺さん用どてら丹前は特例として許容する。
 なぜかって?
 うーん。つまり、甚兵衛、丹前のたぐいは、あれは、日常の衣装ですから。
 結局、日常の衣料品としての価値を喪失していながら、祭りや晴れの場の衣装として、色気セクシー方向に特化して生き残っている鑑賞用の和モノファッションが嫌いなのですね、私は。
 うん。
 ご指摘の通り、ちょっとねじまがったピューリタニズムかもしれない。
 でも、四十歳を過ぎた男が、いつまでも生臭いよりは、こっちの方がマシだろ?
 上品ぶってるって?
 そうかもしれない。
 でも、下品ぶるよりはずっとマシだろ?
 なんであれ、セクシーなものを見かけたら、顔をしかめて目をそむける。
 十四歳になる前までは、ずっとそうしてきた。
 で、四十歳を過ぎたらそこに戻るわけだ。
 その間にいる人間は、ありゃケダモノだよ。
 
ball20.gif シドニーオリンピックサッカー予選第2戦:日本VSスロバキア
 
 おどろくべきことに、スロバキアは引いている。
 第一戦を落としているのだから当然攻めてくると思っていたのだが。
 私の考えは甘かった。
 引き気味というよりも、露骨なベタ引き。ペナルティーエリアの前に6人の大男が立ちはだかっている。
 結局、このテの東欧のチームは、守ってカウンターという戦術しか持っていないのだろうか。この戦術できっちり勝ちきる自信があるってことなのか? ある意味おそろしい徹底ぶりだ。
 勝たなければ予選落ちがほぼ決定するというのに
「前半は0-0でしのいで、後半カウンターで一発決めて逃げ切る」
 みたいな、そういうゲームプランでやってくる神経が、正直な話、まるでわからない。
 てなわけで前半は一進一退。開始すぐのビッグチャンス(柳沢がキーパーと1対1。ループを撃つが枠のわずか左に外れる)を逃したのが響いて、中盤は支配するものの、一向にに攻めきれない。
 中田は前の試合に引き続きどうもパスミス目立つ。それでもキープ力がさすが。
 三浦アツは、周囲とかみ合っていない。弱気なバックパスが目立つし、判断も遅い。
 柳沢高原は目立たない。やはりあれだけ引かれてはFWはどうしようもないのか。
 後半20分過ぎ。柳沢アウト、酒井イン。酒井は三浦アツのいた右サイドに入り、三浦アツは左サイドにコンバート。中村は、中田を前に押し出して、中盤の真ん中に入る。うむ。素晴らしいポジションチェンジだ。
 この交代で、それまで死んでいた三浦アツが生き返る。左サイドでDFを一人ぶっちぎって独走。そのままゴールライン際までえぐってマイナスのセンタリング→飛びこんできたナカータのアタマにドンピシャ。1-0。素晴らしい。
 この後、一方的な日本ペース。さすがに先制点を取られてしまってはスロバキアとて攻めざるを得ない。と、前線にスペースができて攻めやすくなる。となれば、中田のパスもビシビシ決まる。好循環だ。
 28分:高原がラインの裏に抜け出して独走。キーパーと1対1。股抜きを狙ったボールは、わずかにキーパーに触ってこぼれる。と、なぜか高原を追走して詰めてきたイナモトが決める。2-0。どうしてお前がここに。
 イナモトは冴え渡っていた。
 俊輔を引っ込めて本山投入。いいぞ。
 解説のキムラさんは、俊輔の交代が納得できない様子。でも、仕方がないんじゃないか? 次の試合はナカータが出られないんだし、としたら、不慮の事故や疲労の蓄積を考えて俊輔は温存するのが定石だろう。
 結局試合は2-1で勝利。
 2-0の後、決定的なチャンスが4つぐらいはあったのだが、どれも決められず、逆にちょっとしたミスからやらずもがなの一点を取られてしまった。

 問題は、ブラジルが南アフリカに敗れたことだ。
 おい。
 どうするんだよ。
 試合後のトルシエは心なしか顔色が青い。
 気持ちはわかるぞ、フィリップ。
 オレも神経性の下痢になりかかっている。


9月18日 月曜日 曇り
 歯医者。
 歯石を取る。
 ブラジル戦の戦術が立たない。
 オレが考えてどうなるものでもないんだが、それにしても勝つイメージが浮かばない。
 どうしたらいいんだ?
 

9月19日 火曜日 晴れ
 涼しい。
 ようやく夏が終わったようだ。
 ということで、昼過ぎまで二度寝。
 午後、巣鴨に出動。
 帰宅後、明日にそなえて寝る。
 あっ、B誌の原稿があった。
 明日の昼までに仕上げよう。
 大丈夫。ブラジル戦のゲームプランさえしっかりできあがれば原稿の方はどうにでもなる。
 わが友、フィリップよ。
 待っていてくれ。
 キミのために驚天動地の作戦を考えてやるからな。
「作戦? そんなものはいらないよ」
 作戦が要らないって?
「そう、必要なのは平常心だけだよ」
 ヘンなことを言うじゃないか、フィリップ。じゃあキミの仕事はどうなるんだ?
「既に終わっている」
 おい、指揮官が作戦を放棄してどうするんだよ。
「勘違いしてはいけない。いいか友よ。チーム戦術というのは少なくとも半年の熟成を要するものだ。試合の前日になって思いつくようなものを私は作戦とは呼ばない」
 そりゃ確かにそうだけど、相手はブラジルだぞ。
「友よ。我々の作戦が無に帰するのだとしたら、その失敗は、今キミがやっているみたいに敵を過剰に意識するところからはじまる。そうは思わないか」
 うん。まあ、そりゃそうだ。敵を恐れずに平常心で闘うというのは、それはそれで大いに結構なことだ。が、それだけで本当にあのセレソンと闘えるのか?
「耳を澄ましてみたまえ」
 ん? 何だ? ムッシュ。
「心の耳を澄ませれば聞こえるはずだ。ほら、さっきから何かを呑み込む音がしているだろう?」
 うーん。まあ、風の音にしてはちょっと奇妙だな。
「何の音かわかるか?」
 さあ、見当もつかない。
「日本のサッカーファンがメディアの情報を鵜呑みにしている音だよ」
 ……おい、本当か? フィリップ。キミはもしかしたら詩人なのかもしれないが、でも、悪くするとただの大風呂敷のペテン師ってことに……
「ぼくには色々な音が聞こえる。ほら、目を閉じてみたまえ。聞こえるだろう? サラサラという音が」
 ああ。でも、あれは時間の砂が積み重なっている音なんじゃないのか?
「違うよ。ブラジルサッカーの足もとが崩れ始めている音だ」
 信じて良いのか?
「信じる者をサポーターと呼ぶ」
 ……やっぱりまだ信じきれないんだけどなあ。
「信じきれない者を不安と呼ぶ」
 ……ダジャレか? この期に及んで。しかも、「ファンの不安」ってか? そいつは、フィリップよ、昭和四十年代のてんぷくトリオのネタだぞ。
「ファン神経症」
 おい、フィリップ。それがパリのエスプリなのか? そういうのが……
「トルシェターボ」
 壊れたか? おい、壊れたのか、フィリップ。キミもやっぱり本当はパニックに陥っているんじゃないのか?
「友よ、ナーバスになってはいけない。楽しもうではないか。いずれにしてもフットボールは、芝生の上に書く詩なのだから」
 詩って、ポエムのことか? おい、そんな無責任な言い草があるかよ。
「そうだろうか。常に詩的であるということが、代表監督に課せられた唯一の責任ではないのだろうか? 少なくとも私はそう考えている。フットボールのコーチは詩人であるべきなのだ。そして、選手は生きた言葉として、正しい韻律を刻みながら、魂の叫びを表現せねばならない」
 ボールは?
「ただの接続詞だよ」
 じゃあ、勝敗はどうなんだ? ゲームの勝ち負けは、そのあんたの言うフィールドの詩にとってどんな意味を持ってるいるんだい?
「ピリオドだよ。ひとつの記号に過ぎない」
 でも、悪いピリオドと良いピリオドがあるんじゃないのか?
「キミは美しい詩を前に、ピリオドの色ばかり気にするんだね。白いピリオドも黒いピリオドも、詩の力の前では同じものだとは思わないのか?」
 なあ、フィリップ。ぼくたち日本人は白星に飢えているんだ。つまり、最後に白いピリオドが来るんだったら、その前に連なっている言葉がどんなに醜くたって良いんだよ。なんなら四文字言葉だってかまわない。
「残念だな。キミまでが夕刊フジと同じことを言うなんて」
 違うんだよ。フィリップ。少しだけど、違う。  ぼくは勝ち負けにだけこだわっているわけじゃない。
 ただ、キミがそんなに詩的なフットボールにこだわるんなら、どうして小野伸二を外したのか、そこのところがわからないんだよ。
 だってそうだろ? もし、フットボールが、キミの言うとおりに芝生の上に書く詩なのだとしたら、その詩にとっては、小野伸二こそが最も不可欠な選手なんじゃないのか?
「うむ。さすがはわが友だ。キミはわかってくれるんだね」
 違うよ。ぼくは分からないって言っている。
「いや、キミは分かっている。伸二はフットボールの詩にとって不可欠な選手だ。それがわかっていれば充分だよ」
 じゃあ、どうして……
「いまにわかるさ。ただ、キミには言っておくよ。優れた詩の背景には、強い言葉が必要なんだ。エレガントでしかも強い言葉だ。そして、詩の強さを保つためには、レトリックを犠牲にしなければならない時がある」
 意味がわからないよ。
「いまにわかるさ。友よ、レトリックの抑制は、結末の一行をより劇的に演出するためのものでもある」
 フィリップ。それじゃあ、2002年は……
「待つんだ。友よ、明日を待とうじゃないか」



9月20日 水曜日 晴れ
 秋晴れ。
 気取った言葉だ。
 晴れは晴れと言えば良い。
 どうしても強調したいなら快晴と言ってほしい。
 気象用語は、文学趣味に流れることを戒めねばならない。理科系の意気地を守って、あくまでも明晰であるべきだ。
 趣味の問題と言ってしまえばそれまでだが、私は昔から季節だの時候だのに関連する細かい言いまわしがあんまり好きじゃない。
 国文学の連中がやたらに誇りたがる「日本人の季節感」というのも、しょせんは少女趣味だと思っている。
 忘れ霜だの梅雨寒だの小春日和だのといった言葉は、それだけで恥ずかしい。
 こういう言葉をテレビのアナウンサーに連発されるといたたまれない気持ちになる。
 随筆文の冒頭に必ず植物の描写を持ってくる小説家I集院静みたいだ。
 どういうつもりなんだろう。
 「わたしの感覚ってビビッドでしょ」ってわけか?
 対応に窮するなァ こういう人は。(この小さい「ァ」の使い方も)。

 実は、麦秋が夏の季語だということをつい最近まで知らなかった。
 厭な知識を持ってしまった。
 またひとつ厭な野郎になった。
 ……とはいうものの、今日は秋晴れだった。
 オレの感覚も汚染されている。
 澄んだ青空を見上げると、思わず「天高く馬肥ゆる……」みたいなフレーズが脳裏に浮かんでしまう。馬なんて触った事もないくせに。ああいやだ。

ball20.gifシドニーオリンピックサッカー予選リーグ: 日本VSブラジル
 0-1で負け。
 内容的には互角に近かったと思う。
 Y田氏の意見では(わざわざ試合後に電話をかけてきた)、この結果は「先に1点を取ったブラジルが、腰の引けた攻めに終始した」ためにもたらされたものだという。つまり、ブラジルは中央をドリブル突破したり、ワンツーで抜けてきたりするようなリスクを伴う攻撃(真ん中でインターセプトされたら即カウンターを食らうから)は避けて、あくまでもサイドからの攻撃にこだわったというのだ。
「サイドからの攻撃にしたって、中央に人数をかけて攻め上がって来なかっただろ? つまり、それだけビビッていたわけだよ」
 なるほど。
「もし日本が先に点を取っていたら、連中はなりふりかまわず攻撃に来ていたかもしれない。そうなったら案外4点ぐらいイカれていた可能性もあるぞ」
 うむ。
 であるから、彼のゲームプランは、「先に点を取らせておいて、膠着状態に持ちこんで、でもって後半終了間際にセットプレーかなんかで1点かすめとって引き分けで逃げ切る」というものだったのだそうだ。
 なるほど。Y田氏も、ゲームプランを練っていたのだな。しかも極力消極的なやつを。
 私のゲームプランは、さらに消極的だった。
「ゴール前でのファール獲得要員としてモトやんをトップに起用→俊輔のFKで先取点→ベタ引きで逃げ切る」
 なさけない。

 以下、寸評など。
 なかなか面白い試合だったが、戦前の期待が大きすぎたためなのか、なんだか拍子抜け。南アフリカの敗戦による予選突破という結果もなんだか。
 でも、まあ、このあたりの結果が、現状では最もふさわしい落ち着きどころなのかもしれない。
 あんまり劇的に三連勝で突破したりしたら、そこで燃え尽きちゃうかもしれないわけだし。

 さあ仕事だ。(笑)
 

9月21日 木曜日 晴れ
 早起き。
 メールをチェックしてみると、早速昨日のブラジル戦の記述に誤記があるとの指摘。宮本と宮沢と書いていた。
 直しておきましょう。

 サッカー報道確認のため、朝の情報番組をザッピング。。
 フジ「目ざましテレビ」では、スポーツ新聞(見落とした)の「フジ神話は続く」という見出しを紹介してはしゃいでいる。バカ。その他、日テレ、TBSをチェックしてみたが、どこも似たようなもの。空騒ぎ。
 情報番組とスポーツ新聞の相互便宜供与体質は来るところまで来ている。このへんのメディアは、早晩、視聴者および読者に見放されることになるだろう。
 不愉快な人たちだ。
 インターネット発の情報がなかったらと思うと背筋が寒くなる。
 一昨日のトルシエの会見にしても、全文を紹介していたのはネットのWEBページだけだ。
 スポーツ新聞は例によって恥ずかしい要約(【トルシエ大和魂「ピッチで死ね」】byスポニチ)だし、テレビはテレビでこれまた字幕つきの偏向ダイジェスト。これでは会見なんか開く意味はない。どうにでも恣意的に編集できる。つまり、マスコミの権力というのは、編集権のことなのか?

 マジで怒ってしまった。
 反省しよう。
 地上波民放やスポーツ新聞を相手に、真面目な感情をぶつけるのは愚かなことだ。
 だって、連中は怒りや告発に値する相手ではないんだから。
 彼らに対しては、怒ったり告発したり糾弾したりすべきではない。
 揶揄、嘲笑、軽蔑といったあたりのもう少しひねくれた感情をもって対するべきだ。
 いや、本当は無視黙殺忘却が一番ふさわしいんだろうけど、オレもまだまだ人間ができてないから。

 さあ、仕事だ。


※ロナウジーニョ、本山、柳沢などなどについて、補足
 ロナウジーニョのダメさ加減は、ピッチの滑りやすさが影響してのことだったのだろうか。
 あのテの細かいテクニックを使う選手に、あの芝はキツい。
 あるいは、あの芝は、猪突猛進FWとぶちかましDFしか持っていないオージーフットボール協会が、敵方の技術系ちょこまか選手の急停止/急旋回を阻止するために特別に育成した国策ピッチなのかもしれない。
「オレの作ったピッチで、こまっしゃくれたステップだの卑怯ったらしいフェイントだのは使わせねえよ。いいか、フットボールってのは男と男のぶつかり合いだ。意気地なしは帰ってくれ」
 なるほど。
 流刑国家の意地。ならずものグラウンドキーパーの職業意識。見事だ。
 うむ。
 イナモトの意想外の大活躍も、ならずもの優先ピッチの影響下にある現象なのかも知れぬ。
 トルシエが本山の投入をためらった背景にも、ピッチコンディションがあるはずだ。
 柳沢もしきりに滑っていた。スピードのある動き直しが持ち味である彼にとっても、やはりあのピッチはやりにくかったのだろう。

 でも、柳沢よ。シュートを打つことについて言うなら、芝はあんまり関係ないはずだ。
 やっぱりキミはビビっていたのか?
 それとも、あの男は異常にガンコで、内心
「ド素人じゃあるまいし、囲まれてる中で闇雲にボコボコシュート撃てるかよ。オレは確実に入る時しか打たないんだよ!」
 てなことを考えていたのかもしれない。
 ひとつの見識ではある。
 でも、私見を述べるなら、私は、ボコボコ打ってほしい。
「この野郎はなんだか得体の知れないところがあるぞ」
「この東洋人はバカなのか何なのかわからんが、いつ撃ってくるか見当がつかねえぞ」
 と、敵のディフェンダーに思ってもらえたら、その方がいいと思う。
「なるほど、本当にクレバーなストライカーだ。きちっと型どおりに攻めてくる」
 なんて評価されつつ、キチっと型どおりに止められたりするのはあんまり良くない。

 ナカータが試合の前半に通らないスルーパスを蹴りまくるのも、あるいは同じところを狙っているからなのかもしれない。
「おいおい、こーんなパス通されたらかなわねえぜ」
 と、結局は止められるにしても
「あの能面クラツーラはいつ狙ってるかわからねえから油断できねえぞ」
 と相手ディフェンダーをナーバスにできればそれでオッケー、と。
 つまり、問題は成功率ではないということだ。
 ベテランのバッターがよくやる三味線の空振りと同じで
「おい、あのオヤジはこんなタマまで振って来るのか?」
 てなことで若いピッチャーが混乱すれば半分は成功なのだ。
 選球眼であるとか読みであるとかいった高度な話とは別の次元で、ピッチャーの本能は、とにかく振りまわしてくるバッターを恐れる。緊迫した試合であればあるほど、バカの価値は高まる。ボコンボコン撃ってくるけだものストライカー。ブルンブルン振りまわしてくるダボハゼバッター。国際試合ではそういう人材がモノを言う。
 どうだ? アツシよ。ここはひとつ節を曲げて、見え見えの無理シュートを撃ってみてくれないか。
 シュートコースゼロの、タイミング早過ぎ全力インステップキックを、しかも、真横にドフリー味方が手を上げてる時に。
 な、撃てよ。


9月22日 金曜日 晴れ
 午前中に取材。といっても受ける方。自宅書斎で写真撮影&インタビュー。
 夜になってネットのサッカー掲示板を覗いていると、なぜか柔道の書き込み。100キロ超級で誤審があったらしい。
 @2ちゃんねるの五輪板をチェック。
 おお。
 凄いことになっている。誤審のスレッドにはたったの15分で1000の書き込みが殺到している。ほかにも、この誤審関連のスレッドが乱立していて、それらのいちいちに主審のニュージーランド人への怒りや対戦相手のフランス人に対する中傷、煽り、アラシが渦巻いている。
 @2ちゃんねるとはいえ、ここまで荒れたのは初めてではなかろうか。
 なるほど。そういうわけでフランス人であるトルシエにとばっちりが及んでいたわけだ。
 九時過ぎ、テレビのニュース映像で問題の対戦を確認。
 ふむ。
 こりゃひどい。
 明らかな誤審だ。
 いや、誤審どころか、確信犯の曲審かもしれない。
 でも、私は落ち着いていた。
「ま、判定のからむ競技ではよくある話だよ」
 と、傍らにいる妻に言った。
 私はほとんどまったく腹を立てていなかった。
 いや、痛ましさの感情は抱きましたよ。
 階段に向こう脛をぶつけた人を見た時みたいな感じの。
 でも、アタマには来なかったなあ。

 怒っている人たちはとても怒っている。激越に憤怒している。ニュージーランド大使館に抗議するとかなんとか、えらい勢いで息巻いている。
 彼らに
「まあ、落ち着けよ」
 と言うのはやめておく。
 怒っている人間にとって一番腹の立つセリフは「落ち着けよ」だったりするわけだし、私とてサッカーの判定でこういうことがあったら烈火の如く怒り狂っているに違いないから。
 そう。
 正直に申し上げるなら、私は今日の誤審より、先日のフナコシのゴルゴル中継の方がずっとムカついた。
 実際、日テレに抗議メールまで出した(←バカ)。それほどに冷静さを失っていたんである。
 もしあの時、誰かに
「まあ、落ち着けよ」
 なんて言われたらますます怒り狂っていたと思う。
「たかがテレビの中継じゃないか。アナウンサーが喚いたぐらいのことでサッカーが消滅するわけでもないだろ」  みたいな理性派ぶったセリフを聞かされたら、そいつを殴ったかもしれない。 「ぐっ。……く、痛えな、な、何するんだよ」 「まあ落ち着けよ」 「……ってお前、ふざけんなよ。……は、鼻血が出てきた」 「たかが鼻腔粘膜の出血じゃないか。毛細血管が切れたぐらいのことで命がなくなるわけでもないだろ」

 うん。
 柔道ファンの人々には何も言わないでおく。
「ちっくしょお、あのニュー××ランドの、腐れ白豪主義者の薄らハゲの八百長審判のオカマ食人種野郎。絶対にゆるさねえ。な、お前もそう思うだろ?」
 てな調子で、たとえばM島あたりが電話をかけてきたら。
「ああ、その通りだ。オレも二度とキウイフルーツは食わない」
 ぐらいに調子を合わせてやろうと思う。

 明日のアメリカ戦の審判がアラブ人であると良いのだが。
 たとえばイラクの人とかが担当してくれないものだろうか。


9月23日 土曜日 曇りのち雨
 午前中に墓参。
 あんまり墓とかに近づきたい日ではないのだが、まあ浮世の義理ってやつだ。
 義理がすたればこの世は闇よ、という歌があったが、私はそうは思わない。
 義理という概念は、あれは日本人が何かに尻尾を巻く時に使う一種の弁解だ。
 個の責任を関係性の中に埋没させ、意思決定の主体を曖昧化し、ムラ社会の秩序を守るためのシステムが……って、ムラカミリュウ(←恐竜の一種?)みたいなことを言うのはやめよう。
 もっとも言い方はオレの方が知的だ。
 リュウちゃんの言い方だと、お得意の日本人批判も単なるヨーロッパかぶれにしか聞こえない。
 それも、アメリカかぶれからヨーロッパかぶれに転向しただけの、昨日今日の欧州志向だから始末におえない。
 みっともないよ、先生。
 っていうか、あんたの言い草は、デブの栄養師の調理指導みたいなもんで、たいていの日本人に不快感というのか不信感というのか、そういう穏やかならぬ感情を抱かせるわけだ。
「オレはデブじゃないぞ」
 は?
「欧米のスタンダードからすれば、オレは全然デブなんかじゃない」
 まあ、それはそうかもしれませんね。
「顔だってデカくない」
 ……はあ。でも、失礼ながら、先生のようなバンビロ下膨れタイプのデカ顔は、アメリカにはあんまりりいませんよ。
「バスク人を見たことがあるか?」
 ごめんなさい。ヨーロッパには行ったことないんで。
「だからきみたち日本人はムラ社会の典型的な希望の無い横並びのワインの味もわかりゃしない浅薄で貧相な……」
 あ、そろそろサッカーがはじまるんで、お話はまたいつか。 

 午後は、野球の日韓戦を横目で観る。
 気合負け。
 仕方がないですね。
 でも、ゲンが悪いよ。今日は大事なサッカーの試合があるのに。

ball20.gifシドニーオリンピックサッカー決勝トーナメント第一戦: 日本VSアメリカ
 2−2で延長を闘うもそのまま。
 PK戦はナカータがハズして4−5の負け。
 敗戦の当日は寡黙に過ごすべきだ。
 一言だけ言わせてもらえるなら、もっとディフェンスラインを上げてほしかった。ブラジル相手にあれだけ高いラインを保って、しかもオフサイドを8つも取れたのだから、できないこともなかったと思うのだが。
 やはり森岡の守り方は宮本とはちょっと違うということなのだろう。
 ディフェンスラインが低い位置で推移していると
  1. ライン低い→押しこまれる→波状攻撃受ける
  2. ライン低い→攻撃の起点が相手ゴールから遠い→攻めが遅れる。
  3. ライン低い→中盤と前線離れる→中盤スカスカ→パス回らず。
 てな調子で、フラット3の良さが消えてしまう。
 「ラインが低いから攻めこまれる」ということと、「攻められているからラインが下がる」ことは、ニワトリとタマゴみたいな話で、いずれが原因でいずれが結果なのかは、外部の人間にはわからない。
 宮本を使っていればラインが高くなったであろうことは間違いない。が、そうしたらそうしたで、案外簡単にウラを取られていたかもしれない。まあ、結論の出ない話ですね。
 その他気付いた点、っていうか、愚痴。

 試合が終わって、思ったよりもがっくりしていないのは、たぶん小野伸二が出ていないからだと思う。
 個人的には、今夜の負け試合によるショックは、浦和レッズのJ2落ちで受けた衝撃の100分の1程度だ。小野君のオリンピック代表落ちの時の落胆に比べても、せいぜい5分の1ぐらいだろうか。
 まあ、たいしたことじゃないってことだ。

 こんな時に、個人的な話をしても仕方がない。
 もう少し普遍的な言い方をしよう。
 行列して食べたラーメンが不味かった時の怒りと落胆を1とする単位(腐れラーメン)で表現するなら、15腐れラーメン。
 って、わかんねえか。
 うん、非国民と呼んでくれても良いよ。
 でも、負けた相手がアメリカっていうのがなんとも……
 明日の朝、目をさましてあらためて考えてみると、この不快感は、40腐れラーメンぐらいのレベルに上昇しているかもしれない。

 アメリカの次の相手はスペインに決まったそうだ。
 私はにわかエスパニョーラになるだろう。
 米西戦争のカタキを討ってほしい。
 できれば7-0ぐらいのスコアでチンチンにしてくれるとありがたい。