3月12日 日曜日 晴れ
 ネットのサッカー掲示板を覗いてみると、おお、昨晩のTBSのサッカー中継について悪評が渦巻いている。
 まあ当然と言えば当然だが、TBSみたいなものを相手にムキになっても仕方がない。
 よろしい。
 今回に限っては、Jリーグ開幕のタイミングでゴールデンタイムの貴重な放送枠を確保したことに免じて、大目にみよう。  プレイ中にCMを挿入したことも、なんとか見逃してあげる(日テレはCM挿入無しの放送を実現してるわけだけどね)ことにする。
 でもね、部長、演出がいけないとは言いませんが、あの演出手法のイモさ加減は、ちょっと考えものですぜ。
 CMを入れるにしても、もう少し別のやり方があったろうし、サッカーファン以外の人間にアピールしたかったのだとしても違う工夫があって然るべきだったんじゃないのか? じっさいの話、番組の盛り上げをホンジャマカの腐れ芸人に一任して済む話じゃないだろ?
 結局、あんたたちは、サッカーを云々する以前に、番組制作者としてのセンスが最悪なわけだよ。

 あるいは、これは番組制作スタッフのセンスや演出手法の問題というよりは、むしろ、TBSをはじめとする地上波民放局が抱えている構造的な問題であるのかもしれない。
 つまり、もはや地上波民放局が採用しているアイキャッチの手法は、マトモな大人の常識の範囲を逸脱してしまっているのである。
 野菜スティック?
 まあ、そんなものだ。いや、意味の分からない人はいいんです。
 ともあれ、どうやら地上波民放に対する正式な差別用語なり効果的な蔑称なりを誰かが考え出さなければいけない時期にきていることは確かだ。
 たとえば、渋谷のチーマー諸君はサラリーマンのことを「リーマン」もしくは「マンサラ」と呼んでいるらしいのだが、これなんかは、たったの4文字で勤め人さんの情けない姿をあますところなく描ききっている点で、大変に素晴らしい言葉だと思う。
「ヤだぜオレ、あんな店。最近マンサラばっかりだし」
「だよな。背広臭くって息もできやしねえ」
「ったく、踊るなって言うんだよ。豚皮の靴はいてさ」
 うむ。
 
 地上波民放に対しても、こういう真正面からの罵言が用意されなければならない。
 ってことで、不肖オダジマが考案いたしましょう。

 まず、蔑称にとってなにより大切なのは、4音節か3音節程度のシンプルな音構成だ。というのも、罵言は、ひと息で吐き捨てられなければならない言葉だからだ。
 「マンサラ」にしても「ゲーハ」にしても、優れた罵言は、発音した者の心に、さわやかな罵後感を残して行く。いや、「罵後感」なんて言葉はありゃしませんが。
 このほか、「三下」「中坊」「山出し」などの例を見てもわかるとおり、強い力を持った罵言は、いずれも3音節か4音節のうちに完結している。
 長い罵言もないわけではない。
 しかしながら、「浅黄裏」「廊下とんび」「木っ端役人」「河原乞食」「水呑み百姓」といった言葉は、意味の上でいかに強さを持っていようとも、音節数がだらしなく多いために迫力を欠いている。言ってみれば「理に落ち」てしまっているわけだ。
 端的に言えば「水呑み百姓」と呼ぶよりは、単に「水呑み」と言った方がより直截なのだ。また「どん百姓」よりは、「どん百」の方がずっと罵像が鮮明になる。以上の例を見てもわかる通り、罵言は短い方が良い。

 とすると、地上波民放局に対する罵言としては、単純に考えて「地民」「ちーみん」ぐらいが最有力ということになる。
 当たり前過ぎるだろうか。
「トヨカワも、しょせんはチミン向けの役者だわな」
 みたいなことで、たとえば俳優さんとかがチミンがらみでバカにされることになればうれしいのだが。
「野球もアレだよな、ちーみんスポーツっちゃあそれまでだからな」
式の認識が広がるための一助になれば……
 とはいえ、チミンまたはチーミンは分かりやすさ的にはオッケーだとしても、その分ヒネリを欠いているきらいはあるわけで、そこのところに弱さがあるかもしれない。
 ひっくり返して「ミンチー」にしたらどうだろう。「リーマン」と同じ平板アクセントで。
 感じが出るかもしれない。
「ったく、ミンチーのドラマじゃあるまいし、いい年した男が目ウルませてどうすんだよ」
   みたいな調子だろうか、あらまほしき使用例としては。
「ああ知ってるよ。トルシエの後任が決まったとか言う例の噂だろ? でもソースがミンチーだからな。ホントかどうかわかったもんじゃないぜ」
「いや、内定は出たんだけどさ。まさかミンチー勤めが男子一生の仕事でございますだなんて、冗談にも親には言えねえだろ?」
「ウンナン省 何だそりゃ? ミンチーの腐れバラエティーか?」

もう少しハイブローな嘲弄を志向するなら英語を使うというテもある。
 たとえば、「ground-based broadcasting=地上波放送」をそのまんま縮めこんで「グラベ」なんていうのも良いかもしれない。
「ま、しょせんはグラベの連中のやることだべさ」
 とか
「中坊はうちに帰ってグラベでも観てろよ」
みたいに使われるとクールだな。
 人の家に言ったら、まず
「っていうか、グラベしか映んないわけ、ここんちのテレビ?」
 とか言って相手を牽制するわけだ。
 で、本当に地上波オンリーだったら
「じゃ、スイッチ入れてもバカしか出てこないワケね?」
 とトドメを刺しておく。相手が目下の人間なら
「おいおい、こーんな地ベタ這いずってる電波相手にしてると脳味噌腐っちゃうぞ」
 てな調子で決めつけるのもよい。
 コンサートや映画でダサい場面に出くわしたら
「っちぇ、いかにもグラベ観てる連中とかが喜びそうな演出だぜ」
 と吐き捨てる。
「いまどき、客がこーんなぐらべえノリのアオりにひっかかると思ってるのかなあ」
 うん。いいねえ。
 みんなで使おうぜ。
 伸ばしたい人は「ぐらべえ」と伸ばしてもオッケーです。
 しかし、「ぐらべ」の場合、いちいち説明しないとわからないところが、一般に広まるためのネックになるかもしれない。やはり、率直に「チミン」か「ミンチー」だろうか。

 っていうか、いっそのこと公募しよう。
地上波民放局に対する蔑称を募集いたします。
 
 じゃあ、そういうことで。


3月13日 月曜日 晴れ
 仕事。仕事仕事。
 月曜日はよく働く。
 電話が多いから。
 

3月14日 火曜日
 イチローのオープン戦での打率が7割8分6厘に達したのだそうだ(14打数11安打)。
 このまま飛ばしてほしい。
 で、ぜひ6割ぐらい打って野球というスポーツの存在自体を台無しにしてしまってほしい。


3月15日 水曜日 晴れ

ball20.gif国際Aマッチ:日本代表VS中国代表戦
 0-0のスコアレスドロー。
 内容は悪くなかった。ディフェンスはまったく危なげなし――というよりも、中国は攻める気がなかったのかもしれない。
 日本側が中盤をほぼ完全に支配していたため、中国の攻めは単調なロングボールのみ。そのロングボールも繰り出す位置が遠すぎるためこわくなかった。
 ただ、点が取れなかったことについて、例によってトルシエは「運が悪かった」という旨の発言をしていたが、これはマズいと思う。
 事実はトルシエの言った通りだ。なんにしても、チームが完全に試合を掌握し、あれだけの決定機を作れたのは事実ではあるのだから、結果はともかく、戦術的にはオッケーだ。その意味では、監督が非難されるいわれはない。
 点が入らなかった原因(サッカーをある程度知っている者の目から見れば、はっきりしている)も、結局のところはトルシエが指摘した通り、決定機における個々の選手の技術と運に求めるほかはないのだと思う。
 が、トルシエとて日本に来てもう1年以上になるのであるから、そろそろこの国のスポーツジャーナリズムにおける修辞学がどんなものであるかについて学習していてしかるべきだ。
 なあ、フィリップよ、知らないのなら教えてあげよう。
 君もうすうす気づいているとは思うが、この国のスポーツ記者のペンは、監督の弁解を非常にネガティブに喧伝することなっている。
 というのも、記者連中がスポーツ界の指導者に求めているのは、戦術や戦略よりも、むしろ「人格」だからだ。
 「人格」とあえてカギカッコで囲ったのは、その「人格」が架空の役割だからだ。
 つまり、スポーツの監督にとって、記者会見というのは、記者諸君が作り上げようと思っているステレオタイプの感動物語に沿った形で演じなければならない興行もしくは田舎芝居みたいなものなのだ。
 人格者、カリスマ、達人、なんでもよろしいが、うちの国の国民の中には、監督に人生の師であってほしいと願っている人間がまだまだたくさんいる。
 でなくても、我々は「出家とその弟子」みたいな物語が好きなのだよ。
 だからフィリップよ。結果がどうあれ、謙虚らしく構えておれば間違いはないのだよ。
「残念だが、次は頑張る」
 とでも言っておけば良いのである。
 あるいは、ヨーロッパのスタンダードでは、サッカーの代表監督たる者が自らの非を認めることはタブーであるのかもしれない。しかし、日本では逆だ。この国では、人の上に立つ人間が弁解じみた発言を繰り返したり、自らの手柄を誇る言葉を発すると、人格を疑われることになっている。
 つまり、勝った時は選手を誉めて、負けた時は自分の力の至らなさを認めるみたいな、そういう態度が求められているわけだ。
 欺瞞?
 もちろん欺瞞だよ。
 しかし、国民性というのはそういうのじゃないか。
 フランスではフランス風の欺瞞が求められ、日本では日本風の欺瞞が好評をもって迎えられる。そういうことなんだよ、フィル。

※その他気づいた点。
 たとえば二人の選手がいたとして、
A:ボールタッチが30回。スーパープレー3回。平凡なプレー20回。ミスが7回
B:ボールタッチ15回。スーパープレー5回。平凡なプレー10回。ノーミス。
 A,Bのいずれが良いフットボール選手なのだろう。
 たぶん、専門家的には、Aなのであろう。結果的にミスの率は高かったとしても、ボールタッチが多いということは、それだけボールを呼び寄せる動きができていたってことだろうから。
 でも、個人的にはBの選手の方が好きだな。小野君とか。
 今日の試合の印象では、
 と言う感じ(数えたわけじゃないです)になる。
 うーん。
 明らかにナカータの方がいいぞ。
 でも、伸二よ、焦ることはない。試合を重ねていれば、必ず感覚は戻るはずだから。

 いや、問題は、ボールタッチの回数やミスの回数ではなく、プレイの質なのかもしれない。
 たとえば、ボールがしゃべるのだとしたら……
 今日の試合でも、たとえばナカータの繰り出すパスは、ちょっとイタリア語訛りがはいった直截なものが多かった。
「おらおらおらトラバトーレェー!」
「っっせいやぁああ」
「カルボナーラァー」
「どーだぁー、受けてみやがれ! 本場のアッラビアータだぁぁぁぁ!」
 であるから、受ける側も、そのパスにダイレクトに反応せねばならず、結果としてチームのプレイングリズムがスピードアップする。
 その点、小野伸二のパスは、敬語がはいっていてちょっとまだるっこしかった。
「ええっと、中山さーーーん。いかがですかー」
「はーい、こっちでーすナナミさぁーん」
「あっ、イナモ。よろしくねー」
 伸二のパスが悪いというのではない。
 ただ、チーム全体のプレイングリズムといまひとつ合っていなかったということなのだ。
 つまり、ナカタを中心とした、早口の、まくし立てるようなパス会話サロンの中にはいってしまうと、伸二の会話マナーは、あまりにも牧歌的で場違いだったということだ。
 もちろん、本来の調子なら、伸二とてテンポの速さは決してナカタに劣る選手ではないし、パサーとしても、アドリブで周囲をかきまわすことのできる稀有な選手だ。
 が、現在の伸二はまだ回復過程にあって、いまひとつ自信を欠いている。であるから
「あっ、そうですか? ボクになんとかしろ、と。じゃあ、っと、とりあえずイナモー。よろしくねー」
 と言う感じの、責任回避じみたパスが増えるわけだ。
 それでも、ボールを持たせればさすがに基本技術の高さは輝くわけで、時に素晴らしいパスを通す。

 問題は、ボールコントロールよりも、動きの質なのである。
 つまり、伸二の場合、ボールを持っていない時に、どうやってチームに参加しているかというところに弱さがあるわけだ。
 これは、小野伸二という選手がこれまでのサッカー経験の中で、常にチームの主役しか演じてこなかったということに関連している。
 おそらく、あらかじめ主役であることが決まっているキャスティングの中で、マイクを向けられた時にだけ当意即妙なレスポンスを返していればそれで通用してきたのである。
 ところが、サッカーは集団劇だ。
 であるから、マイクを奪ってでも自分の出番を稼ぎ、カメラに映るためには人を押しのけてでも前に出なければならない。あるいは、舞台劇の場合には、カメラの存在とは無縁なところで、舞台に上がっている限りは、演技を続行していなければ舞台俳優はつとまらない。
 もっとも浦和のサッカーは集団劇というより、小野伸二劇場だ。 ヤマダ「うおおりゃドリブル突破だああああ。っと、囲まれちまったぜ……ええっと、そりゃ、シンジまかせたぜ」
ピクン「しんじタノムヨ」
城定「よいしょっのボコッっと、ほんじゃシンジ君よろしくねー」
石井「あらよっと」
ペトロ「どおおりゃあああ、シンジぃオレに出せええええ」
 という感じで労せずして(というか、周りが伸二ばかり見ているから)ボールが集まってくる。で、このボールを
「フクダさーん、お願いしまーす」
「おーい、オカノさーん」
「はい、オオシバさん」
「ほいペトちゃん」
 てな感じで簡単にサバいておれば良い。
 レッズはこれでオッケー、というのか、こうするほかにどうしようも無いチームだ。なんとなれば、シンジ以外にフィールド全体を見ているプレイヤーはいない(いや、去年だってチキがいたし、今年からはアベがはいってきましたけどね……)し、ほかのメンバーにしてみれば、とりあえずシンジに預けるところからしかプレイをイメージできないからだ。
 小野本人としてもある意味でこのレッズのシステムはやりやすい。黙って真ん中へんに立っていれば動かなくてもボールが集まってくるし、ちょっと動いて敵のマークさえはずせば自在にスペースを使えるからだ。
 というわけで、レッズのサッカーは
「ほらよ」
「うりゃあ」
「よっしゃあ」
 と言う感じの、簡単なボール回しを中心としたシンプルなものになる。
 ところが、高いレベルではこうはいかない。
 なにより、代表では自分がボールを貰いに動かないとパスがまわってこない。
 と、ボールをサバけないシンジは……これはどうにもならない。
 まあ、素人の私見だけど。
 

3月16日 木曜日 雨
 朝から雨。
 本格的な雨は二ヶ月ぶりぐらいではなかろうか。
 雨のようなものでも、久しぶりだとうれしいものだ。
 ……いや、別に教訓を引き出すつもりはないのだよ。
 人生においても……
 てな調子の比喩はちょっとね。
 朝礼じゃないんだし。
 

3月17日 金曜日 晴れ
 花粉が飛んでいる。
 雨の翌日は特にひどいというが、確かにエレベーターで会う人々の様子が違う。
 それにしても、このマンションは花粉症患者指定にでもなっているのか、エレベーターででくわす人間の半分以上がマスクをして目を赤くしている。
 片側3車線の比較的交通量の多い道路に面しているということが関係しているのだろうか。
 ま、私自身はまったく無事なのですが。


3月18日 土曜日 晴れ
 朝。プレステ2が届く。
 即座に包装紙をビリビリと破く。
 なぜかって?
 待てないからだよ。
 悠長にテープはがしてなんかいられないからね。

 早速通電してみるも、本体だけではどうしようもない。
 ネットの通販で「リッジレーサーV」が売り切れだったんで、買っていないのである。
 で、近所のゲーム屋に出かけていって「リッジレーサー5」を購入。
 ついでに舞い上がってテレビも購入。まあ、いまのヤツ(ナショナル製、20インチ)は10年モノで、画面も暗くなってきてたわけだから、買い時ではあったわけで……いや、確かに舞い上がったわけですが。
 検討の結果、赤羽「バンドール」にて、シャープ製25インチ非フラット衛星チューナー無しのタイプ(衛星はCATV経由、およびビデオデッキ経由でオッケーだし、フラットは意味もなく割高ですので)を入手。即、クルマに積んで帰った。値段は29800円。安い。こんなことならもっと早く買っておくのだった。

 感想は、「すごい」のひとこと。
 ここまで描写がリアルだと、ゲーム性抜きで、ただ画面を見ているだけで楽しい。
 恐れ入りました。
 とはいえ、画面のリアリティーなんてものは、慣れてしまえば当たり前になってしまう。
 じきに誰も感動しなくなるだろう。っていうか、この精度が標準になって、FF7あたりはお笑いぐさになる(なーんだか四角い女が動いてやがるぜ、みたいな)わけだ。
 ううむ。
 このグラフィック精度の異様なばかりの水準の高さは、ゲーム制作の現場にとっては単に重荷でしかないのかもしれない。  とすると、PS2のもたらすであろう革命は、ゲーム業界全体のためには、むしろ不幸な事態ということになる。
 まあ、ソニーさんとしては、もっとデカい市場をにらんでいるのだろうからして、ゲームがどうなろうが知ったことではないんだろうけど。

ball20.gif鹿島VS川崎F
 NHKBS1にて観戦。
 相馬のミドルが決まって、1-0。鹿島の勝ち。
 ベベットはまだまだ。柳沢に復活のきざしが見えている。やはり、リンカと切れたのが良かったようだ。うむうむ。
 
 市原に移籍した小倉隆史選手が移籍後初ゴールを決めた。
 めでたい。
 おめでとう。

 わがことながら、自分のサッカー選手に対する視線の暖かさには、驚きを禁じ得ない。
 まるで、孫の運動会を見つめる爺さんの視線だ

 深夜、再びリッジレーサーに没頭。すごい。