10月10日 日曜日 晴れ
 秋晴れ。
 巣鴨でイベント。
 昨晩(というか、今朝の早朝)、スポーツ・アイでオランダVSブラジルの親善試合を観てしまったので、朝がつらかった。
 現代サッカーはとにかく運動量が多くてプレスが速い。ペナルティーエリアどころか中盤にさえろくにスペースがない。
 オールドサッカーファンが「せわしない」と嘆くのもなんとなくわかる。
 ジーコの時代と比べて中盤の選手の運動量が倍になっているというのをどこかで読んだことがあるが、確かに、ピッチの真ん中へんでのプレーのありかたはまるで違っている。
 パスの速さ。
 プレスのきつさ。
 プレイエリアの狭さ。
 現代サッカーのプレイヤーは、20年前の選手と比べると、まるで陸上選手だ。
 一瞬のスピードとテクニックだけで勝負する「ゴール前の職人」みたいなタイプの選手は、もはや通用しない。というよりも、守備をしないフォワード(カマモトとか)は、存在自体が許されなくなっている。センターフォワードがペナルティーエリア付近に突っ立っていれば良い時代は、残念ながら終わってしまったのだ。
 ペレの時代のサッカーということになると、さらに凄い。
 ビデオで観ると、当時は中盤というものが無い。ディフェンダーは、敵のフォワードが自陣ペナルティーエリアまで攻めてくるのを悠然と待ち構えているし、攻める側も、ノープレッシャーの中盤をゆるいパスとのんびりしたドリブルで上がって行く。つまり、双方とも、攻防はペナルティーエリア付近だけに限定していて、ハーフウェーライン近辺はどちらの陣地でもない緩衝地帯と心得ているわけだ。観客も同じで、中盤でボールが回っている間は、一休みして気を抜いている。
 これはこれで素晴らしいサッカーだと思う。
 こういう時代に生まれたら、たとえば小野伸二みたいな選手は、スーパースターになっているに違いない。
 が、時代を戻すことはできない。
 サッカーに限った話ではない。
 時代がある一方向に流れ出すと、それが良い流れなのか悪い流れなのかはともかく、誰にも止めることはできない。
 ペレのサントスが1999年のインテルと試合をしたら……
 うーん。
 「戦国自衛隊」っていう映画があったなあ。
 

10月11日 月曜日 晴れ
 昼過ぎに起床。
 テレビ東京のサッカー五輪代表番組を見逃したことを知る。
 落胆して二度寝。
 目を覚ましてふとテレビをつけてみると、おおJOMOカップは後半20分を過ぎているじゃないか。おい、ナイトゲームじゃなかったのか?
 というわけで、ナマで見られたのは、外国人選抜の三点目ファン・ソンフォンのゴールだけだった。

 ファン・ソンフォン、ユ・サンチョル、イ・ドングク。
 韓国には素晴らしいフォワードが揃っている。
 韓半島が誇るアジア最強の攻撃陣にわが列島の黄金の中盤を組み合わせて、さらにリベロにコリアン・ハンサムのホン・ミョンボを招いたら、このチームは相当に強い。ヨーロッパの中堅国相手なら余裕で勝てるだろう。
 ううう、欲しい。
 喉から手が出るほど欲しい。
 ファン・ソンフォン欲しさに、まさか日韓併合までは考えないが……でも往年の大東亜共栄圏論者の気持ちはなんとなくわかる。
「どうだ、ファン君。日本人にならないか?」
「……」
「いや、キミの愛国心はよくわかっているつもりだ。しかし、もっと広い気持ちで考えてみてくれ。いいか? このままでは我々極東亜細亜は、欧米列強の草刈場だ。ザッペッラだのバロンだのといった3流欧州人にデカい面をされて、キミはくやしくないのか? キミたちだって、ついせんだってのワールドカップじゃオランダに5点も獲られてひどい目にあったじゃないか。」
「……」
「ここはひとつ、同じ亜細亜に生まれた者として、旧怨は忘れて一緒に頑張ろうじゃないか。どうだ?」
「……」
「ん? そうか、なーるほど。我々が差別をすると思っているんだな? 安心したまえ、ファン君。我々はキミたち韓国人を完全な日本人として扱うぞ。その証拠にキミたちには日本人の名前をあげよう。専用の慰安婦をつけて、軍属としての正当な権利も保障しようじゃないか。どうだ、ファン君、天皇陛下の赤子として生まれ代わってみるつもりはないか?」
 いや、忘れてくれ。
 大東亜帝国蹴球軍だなんて、冗談にしても品がなさすぎる。
 もう少し現実的な線で考えよう。

 たとえば、竹島とファン・ソンフォンの交換なんてのはどうだ?
 なんなら対馬もつけるぞ。
 ズワイガニとホン・ミョンボでも良い。
 いや、ホン・ミョンボをくれるというなら、ウチの野球選手を全部あげよう。
 マツザカもイチローもマツイもぜーんぶだ。
 どうだろう。
 ひとつ、まじめに検討してみてくれないだろうか。

 ついでといってはナンだが、北の共和国には原発をあげよう。
 福井県を丸ごとあげるから、好きに使ってくれていい。
 交換条件?
 能登半島の根っこから天の橋立までの間をきれいに切り取って持って行ってくれるんなら何にもいらないよ。



10月12日 火曜日 晴れ
 明け方、現代詩手帖の原稿を脱稿。
 詩を書いたわけではないので、びっくりしないでくれ。
 詩論でもない。
 強いて言うなら、弁解だな。
 散文屋の。


10月13日 水曜日 晴れ
 一日中絵を描いていた。
 なぜかって?
 当面、一番カネになりそうにない作業だからかな。
 どうしてわざわざカネにならないことをするのかって?
 カネが欲しくて仕方がないのがイヤだからだよ。


10月14日 木曜日 晴れのち雨
 慈恵医大病院。
 病院に来ている人たちは、当然といえば当然だが、あんまり健康そうに見えない。
 そういう調子の悪そうな人間たちが何百人も順番を待っている景色は、いつ見ても不思議だ。
「大病院の患者は健康じゃないとつとまらない」
 と言ったのは誰だったろう。
 オレか?
 オレだったら別に問題はないのだが、あるいはこれは医者の台詞だったかもしれない。
「入院に備えて体力作りをしておいてください」
 とか、
「じゃあ、元気になったらまた来てください」
 とか、そういうことを言いそうな医者ってけっこういるからなあ。
「ここは病気を押してくるようなところじゃありませんよ。さあさあ、無理をしないで、今日のところはうちに帰ってゆっくり寝てなさい。悪いことは言わないから」
 って、このヒトは良心的なんだろうか?
 


10月15日 金曜日 雨
 住友銀行とさくら銀行が合併するんだそうだ。
 ってことは、ちょっと前の常識からすると「太陽神戸三井住友銀行」か。
 やはり「さくら」という名前が良くなかったんではなかろうか。
 金融機関の名称としてはあまりにも語感が儚いと思う。だって、「さくら」は、昔から「散り際の良さ」の象徴だったわけだし、「三日見ぬ間の桜かな」というのだって、いまとなっては花の咲く勢いよりは、むしろ花見の後の無残さを感じさせるセリフだ。

 さくらの花の満開の下には
 死体が埋まっていると
 誰かが言っていた
 なるほど
 ひっかき集めた預金も
 血まみれのリストラも
 花に嵐のたとえどおりに
 たった五年で散って行く
 イメージキャラのドラえもんに明日は無く
 メーンキャストのヒロスエは、十九でもはや姥桜

 反対する人間はいなかったのだろうか?
「さくらはマズいっすよ」
 と、首脳陣に直言する行員が一人もいなかったのか?
「『散らばもろとも えいままよ』ってわけですか?」
「『同じ花なら散るのは覚悟』とか、希望退職を募ろうっていう暗示ですか?」
「さくら吟行って、西行法師ですか?『願わくは 花の下にて春死なむ』ですか?」
    寄り合い所帯でろくな話合いもできないままに名前を決めてしまったということなのだろうか。
 あるいは、そもそも「さくら」は、「売り手とグルになって他の客をダマすニセ客」の意味だったのか?
「おお、こりゃあ素晴らしい合併だ」
「天下の三井のネームバリューと太陽神戸の資金量が合体すれば万全じゃないか」
「よーし、オレも預金するぞ」
 ……なんて、誰も乗ってこなかったけどさ。
 
さくらの花の満開の後には
 毛虫の饗宴が開かれる
 そう
 スミトモは
 花が散るのを待っていたんだ

 桜の樹を切ったのは私です
 と
 長谷川慶太郎は白状しただろうか?
 桜餅を食ったのは私です
 と
 竹下は白状するだろうか?

 新銀行の名前はどうするんだろう。
 やっぱりそのまんま「住友銀行」だろうか?
 それとも、横浜F・マリノスにならって、「住友S・銀行」とでもするか?
 いや
 いっそ大住友銀行だろうか。
 なんだか、大往生銀行みたいだ、字面が。
 死屍累々。
 済み銀
 処理済の余剰人員と処理済みの不良債権。
 うむ。
 いまIME98が唱えた説が一番ハマっているのかもしれない。
 不良再建。

 「さくらんぼ銀行」なんてのはどうだろう。
 一応さくらの果実ではあるわけだし。
 錯乱銀行?
 うーん。
 たしかに、ヒロスエの起用は錯乱でしたね。
 合掌。


※※追記:11日月曜日の日録で、JOMOカップ世界選抜の3点目をファン・ソンフォンの得点としていますが、「キムドフンだよ」という指摘がありました。
 そうでしたか。
 全然気づきませんでした。
 すんません。

※※追記2:ネズミ死亡
 この日の朝、8月に軽井沢で捕獲して以来、寝食をともにしてきたハツカネズミが死去いたしました。
 俗名ちぴ、享年2ヶ月。
 はかない命でした。
 前日の夜、様子がおかしい(目をつぶったままでふるえている)のでよく見てみると、水差し(自動吸出し式のハムスター用水飲み器)がカラっぽ!(絵が描いてあったりするから、中が見にくいんですね)でした。すぐに水をやると狂ったように飲んでいましたので、ひと安心したのですが、朝起きると、やっぱり死んでおりました。
 かわいそうなことをしました。

●反省点
  1. 給水担当者をきちんと決めておかなかったこと。やはり、ディフェンスの意思統一が完璧でない場合は、マンマークで一対一対応をしておかないといけない。ゾーンで守っていて、マークの受け渡しをミスると一発で間を抜かれる。
  2. あわててガラス器にいっぱいの水を与えたのもいけなかったかもしれない。渇きがひどい場合、急激な給水は体内の水分バランス(浸透圧?)を崩す原因になった可能性がある。

 夜中に走ってうるさかったり、匂いのきつい小便をしたり、逃走して家中をひっくりかえしたり、と、生きている間は迷惑なけだものだったが、そういう生き物に限って死んだ後に意外なほど巨大な喪失感を残して行く。
 やはり死に方に哺乳類ならではの高度なノウハウがある。
  • 冷たくなる(生前は暖かい)
  • 堅くなる(生前は柔らかい)
  • 目を閉じる(生前は目を開けている)
  • 動かなくなる(生前は常に動いている)
 と、生と死の間に落差をつけている。

 たとえば、死んだのが魚やザリガニだとたいした喪失感はない。
 連中は、死んでも目を開けているし、生きている間もたいして動いていたわけでもないから。
 それに、魚類や爬虫類の場合「死骸」という段階をすっ飛ばして、いきなり「生ゴミ」になってくれるような潔さがある。

 いや、非難してるわけじゃないんです。
 むしろ、死んで喪失感を残さないような生き物は、ペットとして失格なのかもしれません。
 イギーが死んだら……
 爬虫類とはいえ、あいつは喪失感を残して行くだろう。
 だって、デカいし。
 長生きしそうだし。

   合掌


  10月16日 土曜日 曇り
 寒い。
 バルサ・レアル戦を見逃す。
 再放送も見逃す。
 オレは何をやっているのか。
 サッカーを見逃すとは。
 仕事はともかく。