9月12日 日曜日 晴れ
 猛烈に暑かった。
 午前中、十条台に出動。
 午後は、池袋で買い物。
 先週の木曜日(9月9日)に通り魔殺人があったばかりだというのに、東急ハンズはなにごともなかったように営業しており、客たちも全然平気そうに歩いていた。

 それはそれとして、池袋の路上がゴミだらけであることにちょっと驚く。
 モラルの問題だろうか?
 路上で色んなモノを配る(ティッシュとかビラとか)連中が多すぎるからだろうか。
 とにかく、ひどい。
 東京はもう一度空襲を受けるべきなのかもしれないl。

 帰宅後、長い昼寝。
 日本人のモラルに失望したからではない。

 日本国民のモラルは、どうやら明らかに低下しつつある。
 が、私はそんなに心配していない。
 「規律ある社会」だとかいった気持ちの悪いものに比べれば、多少自堕落でもゆるい世の中の方が私は好きだ。

 本当か?

 いや、私がモラルについてどう考えているのかなんてことは、この際たいした問題ではないのだ。
 問題は、「モラルについて発言すること」なのだ。
 ありていに言えば、モラルを云々することは、モノ書きとして卑怯だと私は考えているわけです。
 というのも、モラルの低下を主題としたお話は、必ず一般ウケすることになっているから。
「そうそう。そういう人っているわよね」
 ってな具合に。

 電車の中で無神経に足を組む若者がいる。
 路上に直に座り込んで恥じない若い娘がいる。
 スーパーのレジで割り込みをするおばさんがいる。
 その通り。
 実際にそういう人々はいる。
 そして、そういう人たちの行動をあげつらって、日本人の堕落を嘆いていみせることが、エッセイストとしては一番安全な道なのだ。
 だって、エッセイの読者というのは、ほぼ100パーセント自分を「善良で多感で公共心に溢れていて、人情家でウソのつけない私」と考えている人々だからだ。
 まさか自分が無神経だなんて、彼らは夢にも思っていない。
 他人のウォークマンが気に障る自分は繊細なんだ、と、濡れた傘を他人のズボンに押し付けながら、そう考えているわけだ。
 そういう人々を相手に我々は商売をしている。
 彼ら(随筆原稿の読者)は、誰もが皆、世間の軽薄さと浮世の薄情と社会の下品と風俗の無神経を嘆いている。
 で、そういう彼ら(っていうか、彼女たちかな)が、自分のことを棚に上げて「日本語の乱れ」だの「恥じらいの喪失」だのを言いたてるための材料を提供するのが我々に与えられた神聖な任務ってわけだ。
 であるからして、たとえば「毒舌コラムニスト」とか呼ばれている私が、どんなひどい罵詈雑言を並べても、読者は決して腹を立てないのである。
 だって、自分のことを言われてると思ってないんだから。
「そうそう、そういう人っているわよねぇ」
 と、読者は、みーんなそう思って読んでいるんですね。

お前だよ
 
 と、一度、言ってみたいなあ。
   ところで、先週の日記を読み直してみて、誤字やら変な表現があんまり目立ったので、手を入れておきました。
 文筆家の良心?
 いえ、むしろ、売文業者の小心、です。
 気が向いた人は、読み直してやってください。


9月13日月曜日 曇りのち雨
 先週、このページで
「和食器は邪魔だ」
 と書いたことについて、メールをいただいた。
「洋食器も邪魔だ」
 というのだ。
 以下、勝手に引用する(kさん、どうもです)。
洋食器のよろしくないところを論うと、
 ●収納性に難あり
  把っ手や脚のついているものが多く、茶碗のように重ねられない。
  また、過剰な装飾(花など)が施されているものが多く、すぐ欠ける。
 ●メンテナンスに難あり
  凹凸の激しいものが多く、埃が溜りやすい上、それを落としにくい。
  金属性の食器類はすぐ錆びや曇りが生じる。
 ●不必要な存在が多い
  ティーカップやスープ皿受け等、なくても構わないものが必ずセットでつい
ている。
と言ったところでしょうか。
で、つらつら考えてみたんですが、家にある不要な食器って「全て貰い物」なん
ですよね。
(中略)結局、自分達で選ばないのに家に入り込んでしまう食器達というのが邪魔な存在
なのだと思います。昔から、贈答用にお勧めな食器類は、「収納性の悪い」「汎
用性の低い」「過剰かつ不必要な装飾の多い」、言わば自分じゃ絶対買わない類
のものが良しとされていますからね、まあ、仕方ないんじゃないでしょうか。
 なるほど。
 言われてみればそのとおりだ。
 私は昔から、取っ手だの脚だのレリーフだのがついた食器が大嫌いで、それでウチにそういうものが無かったということなのだろう。
 実際、ヴィスコンティとか映画に出てくる食器って、どれもこれも恐ろしく邪魔そうだもんなあ。
 結局、洋の東西を問わず、食卓に文化の香りを運んでくるタイプの食器は邪魔だってことだ。
 よろしい。
 「ざあます趣味は食卓の癌だ」という共同宣言を採択して議論を終えよう。

 ついでに、「贈答品は不潔だ」というテーゼを措定しておくことにする。
「どう? わたくしの食器選びのセンスってちょっと素敵じゃなくって?」
 といった感じで贈られてくる箱入りの食器(装飾過剰な時計とかもね)は、その場で割るべきだ。
 「不要食器破壊フェスティバル」とかを開いたら、けっこう盛況になるんではなかろうか。
 各自が各家庭からいまいましい陶磁器を持ってきて、盛大に割るのだ。
 にぎやかでいいぞ。
 クリスタルのカットグラスでできた重くて扱いにくいタンブラーだとか、壊れやすさを繊細さと心得ている高飛車な脚付きグラスだとか、その手のゲロ趣味もすべからく破壊するのだ。
 ただ割るのがもったいないというのなら、たとえばサッカーのスタジアムjに持ちこんで誤審の多い審判に投げつけてもいい。
 陶片追放。
 スタジアム直接民主制のあけぼの。
「岡田主審、グラタン皿に埋もれる。駒場に瀬戸物の嵐」
 いいぞ。


9月14日 火曜日 晴れ一時雨
 暑い。
 BJ誌の原稿をアップ。

 悪徳商法被害の話を聞く。
 ああいうモノにひっかかる人間は、無知というよりも、むしろ傲慢なのだと思う。
 単に無知なだけの人は詐欺師にひっかかったりしない。
 無知な人々は、無知ゆえに臆病でもある。だから、簡単に判子を押さない。
 ところが、傲慢な人間は、自分の判断を疑わない。最後の最後まで自分は大丈夫だと思っている。しかも、彼らは人に弱みを見せるのが嫌いで、セールスマンのセールストークに対して、わかったふりで応じたりする。
 ケチだと思われたくないのか、田舎者だと思われたくないのか、彼らは、セールスマンの話を聞きながら、「ええ、万事承知していますよ」ってな表情を浮かべている。
 で、ダマされる。
 まったく。
 あんまり気の毒だとも思えないな。
 
 私自身、商売の実際についてはまるで無知だ。経済学に詳しいわけでもないし、法律に精通しているわけでもない。そういう意味で言えば、無知な消費者の一人だ。
 といって、訪問販売にひっかかったりはしない。
 彼らの策略を見抜いているから?
 いや、単に臆病なだけです。
 よく分からないものには手を出さない。
 簡単なことなのになあ。

 
余談

 20年前、駿台予備校の夏期講習で、古文の授業を受けた。
 素敵な授業だった。
 教師は、「源氏物語の特徴」と題して、黒板に以下のようなことを書いた。
 で、これらについてひとつひとつ詳しく説明した後、最後にこう付け加えた。
つまり悪文なんですね。
 おお!
 我が意を得たり、とはこのことである。
 そうだったのだ。前からそうじゃないかとは思っていたけど、源氏物語は悪文だったのである。
実際、出来の悪い生徒は、こういう文章を書きますよ。
 おおお。
 先生、ありがとうございます。そうですね、先生、紫式部ってのは、ありゃ、バカだったんですね。

 ……いえ、だからどうだってことじゃありません。
 私は源氏物語が嫌いだ、ってそれだけのことです。

 源氏物語は、あれは、千年前の作品だということを差し引いたとしても、箸にも棒にもかからない駄作だと思う。
 同じ時代の女流が書いたものなら、枕草子の方がずっと面白い(ま、おそろしいばかりに気取っていてイヤミったらしくはあるけど)。
 主婦の皆さんをターゲットにしたカルチャー講座では、相変わらず源氏物語購読が人気のようですが、一度虚心に読んでみてください。そこいらへんのエロ本以下ですよ。
 

9月15日 水曜日 晴れ 
 暑くて眠れなかった。
 朝になってからエアコンをつけて眠った。
 目を覚ますと午後3時。
 午後4時半。赤羽で打ち合わせ。

ball20.gif福岡VS浦和
 テレビ埼玉にて観戦。
 1-2でまたしてもVゴール負け。  で、延長前半?分:Vゴール負け!
 詳細は、……あれ? 思い出せない。  さっき観たばかりなのに、ゴールマウスの中でボールが転がっている映像がよみがえるばかりで、その前後の記憶が無いぞ。
 どうやら、私の脳細胞は、記憶を拒否しているようだ。
 選手も同じじゃないといいけど……


9月16日 木曜日 晴れ
 慈恵医大病院に出動。
 午後、H氏より電話。
 「学歴」について本を作ることにした。
 今年中になんとか。


 午後4時半、歯医者。
 歯根に注入した消毒薬が落ち着くまでの間、歯医者氏としばし雑談。
 釣りが好きなようで、マイアミに行きたいのだがハリケーンがどうのこうのとかいった話をしている。
「マイアミっていうと、確かヘミングウェイが釣りをしてたあたりですよね」
 と言ってみると、ツボにハマってしまったようで
「おお、ヘミングウェイを読まれるんですかぁ!」
 と、しばらくパパ・ヘミングウェイの話を聞かされた。
 こっちは「老人と海」しか読んだことがないので冷や汗。
 あんまり詳しくもないことについて、余計なことを言うものではない。
 釣り好きの中年がヘミングウェイフリークであることぐらいは警戒してしかるべきであった。


 先週の日記についてメールを頂いた。
「どうして韓国・朝鮮および中国関連の人名は、表記と発音を統一しないんだ?」
 と書いたが、これは私の勘違いだった。

韓国・朝鮮人名を現地読み(カタカタ表記)した例(金大中→キムデジュン)は
あっても
中国人名を現地読みにした例を聞いたことがありません。(「とう小平」が「ト
ンシャオピン」と読まれたニュースを見たことはありません)

 なるほど。
 WEB上の文章は、ほぼリアルタイムで、しかも数千人の目で校閲される。
 素晴らしい。
 

9月17日 金曜日 曇りのち雨
 O氏より明日のレッズVSグランパス戦のチケットが手にはいったので、急遽観戦することになった。
 山田とペトロが出られないはずだが、大丈夫だろうか。


9月18日 土曜日 曇り
ball20.gif浦和VS名古屋
 駒場スタジアム2階席にて観戦。
 SB席という三千円のチケット、場所は、メインスタンドから見て右側のゴール裏の2階席、前から3列目。
 行きは北浦和駅から歩く。
 途中の書店で「小野伸二・天才の素顔」という本を買う。
 スタジアムの雰囲気は本当にものすごい。試合前に繰り返される応援の歌声を聴いているうちに、わけもなく涙ぐみそうになる。翻る旗、赤一色に染められた観客たち、地響きのような喚声、歌声、遠い潮騒みたいにうねりながら迫ってくる拍手と足踏みの音……「共生感」という言葉を思い出す。この種の感情にまかせて国家なり共同体なりに献身することは、おそらく愚かなことだ。が、熱狂の渦の中にわが身を投げ出している者にとって、賢明な生き方や堅実な見込みは、何の意味ももっていない。大切なのは今宵の美酒の陶酔だ。アルコールの害については、翌朝になってから思い知れば良い。

  結果は、1-2にてVゴール負け。
 そう、4試合連続Vゴール負けだ。
 ピクシーのPKが決まった瞬間の沈黙はマリアナ海溝のように深かった。
 試合内容については、詳述を避ける。
 いずれ語る日がやってくるかもしれないが、いまはまだその時ではない。
 粗く積んだ薪の上に寝て、苦い肝を嘗めている私が、ひどく無口であることを、どうか責めないでほしい。

 神風が吹かなかったことの不可解を、三島由紀夫は一生涯納得しなかった。
 三島よ。
 君は正しかった。
 あり得べからざることが起こっている時、現実は現実ではない。
 であれば、我々は非現実を信じるほかにどうしようもない。
 不潔な現実は、神にそむいているという意味で、悪夢よりも悪い。
 私は、だから、現実を認めない。
 起こるべきでないことが起こることを、私は決して許さない。
 私は、カルチョの国からやってきた、髪の長いジョカトーレの、罰当たりなプレイを決して認知しない。
 ジュゼッペよ、キミは存在していない。
 私は君の名前を忘れ、君のプレイを忘れ、君のつっかかったドリブルとデカ過ぎるトラップを記憶から消し去るだろう。
 どこかの町で私に会っても、声をかけないでくれ。
 私は、君を知らない。
 私の栄光のレッズは、勝利の歌が反響する眩暈のような赤い光の靄ので、永遠に輝いている。
 いいかい、イタリアに帰ったら、おふくろさんにこう言うんだ。
 ノビたパスタを作るようにって。
 オレには、だらしなく茹で過ぎた冷たいアラビアータがお似合いだからって。
 そして、ノビたアラビアータを腹いっぱい食べたら、一晩ゆっくり眠って、浦和のことはそれっきり忘れてしまえ。
 オレたちも忘れる。
 それでいいじゃないか。
 な、ジュ、ああ、名前はなんて言ったっけ? 髪の長い不器用なジョカトーレよ。