9月5日 日曜日 晴れ

 ケーブルインターネット導入に向けて、整理整頓の日々。

 あのさあ、そうやって書類ケースだのペン立てだのの置き場所を移し変えていたって、問題は解決しないよ。
 そんな枝葉末節の世話を焼くより、もう少し根本的なところに手をつけたらどうなんだ?
 たとえば?
 そうだなあ、たいしてカネにもならなかった上に出来が良かったわけでもない仕事の仕上がり見本とか、パラノイアの得意先が送ってきた重箱の隅だけで出来上がっているみたいなクズ資料なんかどうだい? 捨てたって何の問題もないじゃないか。ほかにも、プチブル趣味横溢の腐れ擬似広告雑誌のバックナンバーだとか、一生使う見こみもないキャラクターもののファンシーレターセットだとか、この際、そういうものを丸ごと処分したって良いわけだし、なんだったら展示用の食器だとかも捨ててくれるとありがたいんだけどな。うちは美術館じゃないんだから。
 ……と、私は言わなかった。
 重要なのは、何を言うかではない。何を言わないかだ。
 だから、私は何も言わなかった。
 整理整頓について、意見がないわけではない。
 開陳してみようか?
 「使用可能なものは捨てない」という基準で整理している限り、整理なんてできやしないのだ。
 たとえば、食器は、真っ二つに割れてでもいない限り、基本的には使用可能だ。
 一方、必要かどうかという視点で見直してみると、必要な食器は、人間一人あたり、皿が2〜3枚、茶碗がひとつ、湯のみにマグカップ……せいぜいが10点程度に過ぎない。結婚式の引き出物で貰った大皿であるとか、イヤなカーブのついたロココ趣味のティーセットだとかは、おそらく、一生涯箱の中から出ることはないのだ
 ということはつまり、われわれは、「使用可能ではあっても不必要な物品」の保管のために、貴重な空間を奪われているのである。
 クソ。
 わかっている。
 こういう理屈は赤い血の流れている普通の人間には通用しない。
 世間の人々は、「ぬくもり」だとか「くつろぎ」だとか、あるいは「やすらぎ」だとか「ふれあい」だとかいった、そういうひらがな四文字でできあがった、およそ意味不明な情緒的な言葉にべったりと寄り添って生きている。
 合理主義なんて、お呼びじゃないのだ。
 合理だの合目的だのといった概念は会社経営や学問研究の分野で称揚されていお題目に過ぎない。ナマの生活の場である家庭や職場に、ナマの形で合理主義者を持ち込んだら、その人間は冷血漢ということになる。
 くそ。  ……ってことは、捨てられるものなんてひとつもないんじゃないか。
 ちぇっ。
 役に立たないものは捨てろ!
 と、それでも私がわめかなかった。
 だって一番役に立たないのは、オレだからね。


9月6日 月曜日 晴れ
 歯痛で早起き。
 朝一番に歯医者に電話すると、午後4時半まで診療の空きはないという。
 痛み止めを倍量飲んで待つ。
 午後4時半受診。
「あー、患部に膿がたまってますね」
「があっ」(←口の中に金具やら管やらを突っ込まれてるんで、こういう声しか出ません)
「痛み出さないと来ないんですね」
「があ」
「まあ、しばらく通ってもらうことになりますよ」
「があ」
 意志薄弱の報い。
 医師強固。
 歯科医不良。


9月7日 晴れ
ball20.gif五輪代表壮行試合 日韓戦
 4−1の圧勝。
 この世代の選手は技術がしっかりしている。
 中田は、キープ力、展開力、突破力ともにさすがだった。
 時折見せる鬼パスは通らなかったが、それでも、U-22のチームは、もう少しで中田のパスに届きそうなところにきている。
 つまり、ワールドクラスのプレイヤーである中田がこのチームでは浮いていない。
 中田自身も楽しそうにプレイしていた。いつもイラついて見えるA代表の中田とは別人みたいだった。それだけU-22の選手たちの技術と戦術理解力が高いということだと思う。
 であるから、「中田ジャパン」というスポーツ新聞の言い方は、その意味で不当だと思う。中田は、確かにチームの切り札ではあったが、彼もまたこのチームの駒のひとつであったに過ぎない。
 このチームに小野、柳沢が復帰すると思うといまから楽しみだ。

 
金嬉老翁帰国

 ところで、この人の名前は、金嬉老(キム・ヒロ)、本名、権禧老(クォン・ヒロ)ということになっている。
 ん?  まあ、呼び名のことは置くとしても、このキム老人の帰国が、本当のところ、どういう意味を持っているのかも、実はまるではっきりしていない。
 おい、どっちが本当なんだ?
 キムヒロは、「さん」なのか? それとも「元受刑者」なのか?
 で、彼は、反省しているのだろうか、それとも故国で反日宣伝をしているのだろうか?

 わからない。

 はっきりしているのは、このキムと名乗る不思議な立場の老人が、日韓双方の様々な立場の人々に、様々な方法で利用されているということだ。
 キム老人本人がどういう人間で、どんな考えを抱いているのかは、この際、たいした問題ではないのかもしれない。
 オレの意見?
 無いよ。
 勧告ならあるけど。
 でも言わないよ。


9月8日 水曜日 晴れ
 巣鴨に出動。
 暑い。
 先週の半ば以降、しばらく涼しい日が続いたので、油断したのがいけなかったようだ。
「ようやく残暑もヤマを超えたか」
 と、思ったその判断が間違っていた。
 申し訳無い。
 一千万都民の皆さんに謝罪しよう。私の判断ミスがとんだ猛暑をもたらしてしまったようだ。
 勘弁してください。

ball20.gifキリンチャレンジ 日本VSイラン戦
 凡戦。  試合そのものも面白くなかったが、テレビ朝日の実況がまたひどかった。
 テレ朝はTBSとともにサッカーから撤退してほしい。
 こんな調子で余計なネガティブ情報を流すくらいなら、黙殺してくれた方が良い。
 
 夜、ニュース23を横目で観ていたら、画面にイグアナが映った。
 詳しいところは聞き逃したが、どうやらどこかでイグアナが逃げたらしい。
 画面のテロップには「2メートル以上?」というのが出ている。
 本当だろうか?
 ともかく、30人の警察官が出動する騒ぎになったらしい。

 トカゲ一匹に30人の警官
 ……まったく。
 いつもいつも、同じことの繰り返しだ。
 偏見を抱いた人々の言動についての偏見に満ちた報道と、それによる偏見の拡大。
 念のために言っておきますが、逃げ出したイグアナが本当に2メートル級の大物だったのだとしても、野良犬なんかよりはずっと安全ですよ。
 ……なーんて、オレみたいな立場の男がいくら口をサワーにして言ってもムダなんだよな。
「だって、なんだかコワイから」
 って言われたらそれでおしまいなんだから。
 恐怖や嫌悪には、根拠なんて必要ないって、つまりはそういうことなわけだ。

 なんだか、精神障害者がらみの報道に似てる。
 報道関係者が「通院歴」に対してを奇妙な情報操作をするもんだから、結果として、精神科に通院している人々が潜在的な犯罪者であるみたいな印象が広まってしまう。
 違うのだよ。
 事実をありのままに報道すれば、何でもないことなのだ。
 精神科に通院している人間が犯罪にかかわる確率は、むしろ一般人より低いのだ。
 そして、イグアナは草食動物であり、まったく攻撃性を持たず、さしたる攻撃力さえ持っていないのである。
 こうした事実をそのまま伝えればそれで話は終わりじゃないか。
 しかし、彼らはそうしない。
「なんだか不気味ですね」
「なんだかこわいですね」
 と、事実とは無縁な印象だけを垂れ流して世間の異端者嫌いに媚びている。
 まったく。

 無知な連中は異端者を恐れる。
 結局、世間のマジョリティーにとっては、無害であろうがなんであろうが、異端者が異端であるということそのものが犯罪なのだ。
 まったく。

 引き続き「ニュース23」を観ていると、「異論・反論・オブジェクション」のコーナーで「現代電脳事情」という話題があって、その明けに、奇妙な会話があった。
佐古アナ「クサノさんは、パソコン無しの生活は考えられませんよね」
草野「ええ、ほんっとに、まったく考えられません。(ここでチクシの方を向いて)チクシさんはパソコンを触ってみようとは思わないんですか?」
チクシ「まったく思わない。忙しすぎて。やることが多すぎて。バーチャルリアリティーよりリアリティーの方が忙しいから。こういうの(パソコン?)の前にいる時間がもったいなくて……」


 は?
 リアリティーが忙しい?
 まさかとは思うが、チクシさんのアタマの中には
「血の通ったナマの現実としてのリアリティー」
 と
「デジタルのマシンやギミックで作られた架空世界としてのバーチャルリアリティー」
 の二項対立
 が仮定されていて、そういう枠組みでモノを考えていたりするんだろうか?
 そこまでバカなんだろうか?
 もしかしたら、この人は枠組みでしかモノが考えられないんだろうか?
「リベラルと保守」
「右と左」
「権力と人民」
「メディアと視聴者」
 か?
 おい。いまどき、こんな芝居の書き割りみたいな単純な図式で絵解きをしてるのか?
 リアリティーの方が忙しくて
 って、あんた、「オレはピコピコピーの電気現実にはダマされないぞ」って、自慢してるつもりなのか?
 それとも「私は人間主義ですから」とかいう、勘違いのマニフェストなのか?
 いずれにしても、この人はいよいよダメだな。
 って言うより、昔っからまるっきりダメで、オレがそれを見抜けていなかっただけなのかもしれない。

 良心的なジャーナリストだと思っていた自らの不明を恥じよう。
 良心的は良心的なのかもしれないが、いくら悪意がなくても、こうバカなんじゃ仕方がない。
 引導を渡すことにしよう。
「筑紫テツヤは、今日、ある意味で死にました」 


9月9日 木曜日 晴れ
 9並びってことで、コンピュータの誤動作を懸念する動きがずいぶんあったようだ。
 どうやらたいしたことは起こらなかったようだが、アオった人々は何と言うつもりなんだろう。

 スペース確保のために引越し以来約2年間開けていなかった段ボールをあばく。
 ステンレスの鍋セット。
 悪徳訪問販売モノを譲られた形のブツだ。
 ぜひ捨てたい。
 が、ベランダ保管ということで決着。
 錆びればいいのに。
 ほかには、食器の山。
 特に和食器が憎い。
 和食器の困ったところは、要約すれば以下の2点にある。  前に、和服と和式便所は憲法で禁じたら良いということを書いたと思うが、これに和食器を加えたい。
 こういうものを見ていると、つくづくこの国(←あ、チクシさんの言い方になってる)が嫌いになる。

 川端康成は「美しい日本の私」と言った。
 おそらく、日本の自然のことを言ったのだと思う。
 確かに、わが国は自然に恵まれた国だ。景観は変化に富み、気候は湿潤で優しく、水は清浄で、食べ物は美味である。
 が、私たちはそれを台無しにしている。
 和食は、なるほど繊細な自然の恵みを背景とした素材の豊富さに支えられて、その美味を保っている。
 が、和食が展開される場所でのわれわれの美意識は、最悪だ。
 茶人趣味。
 権力者が貧乏自慢をし合う不潔な儀式。
 ツール(道具)の分際で美意識を振りかざす食器たち。
 割れてしまえというのだ。

 和食器は、使う者の身になっていない。
 あれは、鑑賞や収拾のためのものであって、使うための道具ではない。
 洗う者の身にもなってみろというのだ。
 結局、和食器の美は、皿を洗ったこともない腐れ茶人が考えた奇形的な美である通人趣味に過ぎない。
 それに一般庶民があこがれていたりするところがまた不潔だ。
 食器は幾何学的に極力単純に造形されていなければならない。
 本来なら数学者が考案すべきものなのだ。
 
 大江健三郎は、「曖昧な日本の私」と言った。
 たぶん、日本語のことを言ったのだろう。
 なるほど、大江健三郎の文体は、日本語としては異例なほどに明晰だった。
 が、彼の思想そのものは、おそろしいばかりに曖昧だった。
 「甘いな日本の私」
 と、言うべきだったと思う。

 私がノーベル文学賞を貰ったら、「不合理な日本の私」と言おう。
 もちろん、日本人のことだ。
 「納豆な日本の私」「チビな日本の私」「湿っぽい日本の私」でもいい。
 いっそ、「不潔な日本の私」の方が問題がはっきりするかもしれない。
 天皇は祝福してくれるだろうか。
 陰気な皇太子に祝辞を肩代わりさせるだろうか。
 それでも良い。 「陰鬱な日本の私たち」
 と、広呑み屋電化に言ってもらったらどんなに嬉しいか知れない。
 ナルヒトさん。
 私は、あなたの地味で苛烈な山行ぶり(荒川三山を2日で踏破したりする)を心底から尊敬している。
「無駄な日本の私」
 そう。ぼくたちは無駄な人間なんだよ。
 ほら、ちょうど、あの徳も利も無い徳利みたいな具合にさ。
 

9月10日 金曜日 晴れ
 ネズミのケージを購入。
 水替えの度に生じる脱走の危機を考えると、このまま水槽飼育を続けるのは賢明な態度ではない。
 本当に必要なのは猫いらずなのだとも思うのだが、そういう発言は控える。
「父は鬼のような人でした」
 なんて、言われたくないから。
「仕事の鬼?」
「いいえ、仕事に関しては亀のような人でした」
「堅固なお考えを抱いておいでだったのですね」
「いいえ、ノロマで、しかもひっくり返ると自力で立ち直ることができなかったという意味です」


9月11日 土曜日 晴れ
ball20.gif鹿島VS浦和
 NHK第一にてテレビ観戦。

 負けるべくして負けた試合だった。
 福田のゴールは見事ではあったが、あれは一種の交通事故だった。

 大好きな選手である小笠原にとどめを刺されたのが救いといえば救いだろうか。
 末期ガンを宣告したのがきれいな女医さんだったみたいな……
 いや、むしろ、「駅のホームから転落する瞬間に、一瞬、プラットホームを歩くきれいなねえちゃんのパンツが見えた」ってところかな。
 決めたのが本山君だったら、ノーパン丸見えぐらいのありがたさだ。
 うん。わかってるってば。
 全然、笑いごとなんかじゃない。