8月29日 日曜日 晴れ後雨

 昨日の試合について一言。
ball20.gifセレッソ大阪VS浦和
 3-2で勝利。内容は知らない。
 テレビ中継がなかったため、ネットで結果を知っただけだ。
 うれしい。
 が、あまり喜びすぎないようにしよう。
 不幸の女神は、ぬか喜びしている人間を何よりも好むものだから。

 引き続き蟄居してミュージックデータ作り。
 この勤勉さは、何だろう。
 「悲しきサルタン」をたぶん5年ぶりに聴く。
「この人、ちゃんと歌えないの?」
 と、言った女がいたっけ。
 そのくせ、通ぶって「I go crazyが好きだ」とか、言っていた。
 どうせネタ元は田中康夫の「なんクリ」あたりだったのだろう。
 もしかしたら、田中康夫が嫌いになのは、あの時以来なのかもしれない。
 なーにが、I go crazyだか。
 
 趣味は? と聞かれたら
「留守番です」
 と答えよう。
「留守番道の極意は?」
「自問自答」
 寝よう。

8月30日 月曜日 晴れ時々曇り
 デビッド・ボウイのMP3ファイル作成事業を開始。
 単独アーティストシリーズの第一歩をボウイからはじめたのは、要するにハサミがいれやすいからだ。
 ボウイについては、一時期、偏愛していたものの、総体としては「感心はしていても、崇拝はしていない」というのか、つまり、作品本位で接することができるわけだ。
 ダメなものはダメ、と、ボウイに対してなら私は決然と言えるのだ。
「おい、デービー、<スケアリー・モンスターズ>は、ありゃちょっとマズいぞ。手を抜くにしても、もう少しやり方があるだろうが」
 ボウイ君も、わかってくれそうな気がする。
「うん。<ヒーローズ>からしばらくは、なんていうのか、やる気出なかったんだよね」
 とか、案外、気を悪くすることもなく私のハサミを受け入れてくれそうだ。
 そういうふうに、冷静に自己分析ができているところがこの人のえらいところだ。

 余談だが、ボウイとミック・ジャガーが会うと「おい、お前んとこはローディーにいくら払ってるんだ?」とか、そういう話ばっかりしてるんだそうだ。
 この話をしていたのは、「ビースト・オブ・バーデン」で共演したベット・ミドラーなのだが、「ファニー・ボーイズ!」という彼女の感想はまったく正しいと思う。私はこの話が好きだ。

 てなわけで、ボウイ選集は、13枚のCDから57曲を選定して、意外にすんなりと出来あがった。
 Let's Dance以降の曲は、男らしく排除した。
 この人の場合、どの曲もそこそこにデキが良くてバラつきがないという意味では、選定に苦労するのだが、どこか仕事に心のこもっていない感じがする分、佳曲を切り捨てても、心が痛まないわけですね。
 
 ディランとかジョン・レノンに対しては、どうがんばっても批評的になることができない。
 是々非々なんていう恐れ多い態度で接することなど、到底考えられない。
 常に、全面肯定の是是是是である。
 ディラン原理主義。
 レノン訓詁学。
 サージェント・ペッパー無謬説。
 である。
 この人たちに対しては、私は、こじれた片想いをもてあましている中学3年生みたいなぐあいに、相手の事を考えるだけで、冷静さなんかどこかに吹っ飛んでしまう。
 だから、駄作さえ割愛できない(しかも駄作が多い)わけで、選定作業はまるではかどらないに決まっているのである。
 中学生の時に作ったオープンリールのフェイバリットテープにおいても、私は「レボルーションナンバー9」をハズさなかった。
 申し訳無くて外せなかったのだ。
 もちろん、あのクズを好きになることはできなかったが、だからといって、私はひとっかけらもジョンレノンを責めなかった。むしろ「レボルーション・ナンバー9」の真価を把握できない自分の耳の貧しさを責めていた。
 ファンと言うのはそういうものだ。
 
 ボウイの弱点は、器用過ぎるところにある。
 あそこまで器用だと本筋の才能を疑われる。
 天才と呼ばれるためには、どこか間抜けなところや不器用なところを残しておかねばならない。
 その点、ディランは完璧だ。
 駄作のデキの悪さが、どうにも通常人の理解を絶していて、やはりそういったところは、天才的としか言いようがない。
 駄作であれ、傑作であれ、大切なのは「規格外」のポジションをおさえておくことだ。
 あるいは、傑作のデキの良さ自体、駄作のデキの悪さとの比較で考えられているのかもしれない。
 とすると、モノを作る人間は、時に、思いきった駄作を世に問うべきなのかもしれない。
 オレもこう見えて案外器用だからなあ。
 才人止まりか。
 多産、放埓、粗雑って、ふつうに考えればこの三つは、そのまんまバカの三要素だけど、これらの要素を十分に持ちこたえつつ、なおかつ傑作を垂れ流せば良いわけだ。  普通の人間には無理だな。
 だって素人みたいな空振りはできないし。
 何より、打球の飛距離がフェンスを超えないからね。

 Aladin Saneが手元に無いのが残念。
 買うことになるだろう。
 毒を食らわばテーブルまで、乗りかかったタイタニック、だ。とりあえずは、14ギガのハードディスクがいっぱいになるところまでやってみることにしよう。


8月31日 火曜日 晴れ
 ネズミの音で眠れず。
 ん?
 事情がわかりませんか?
 じゃあ、一応律儀に説明しましょうね。

1.ヤマネとの遭遇
 北軽井沢、浅間庵にて、息子(小二)がネズミ様の小動物を捕獲。
 山荘内に突然出現したところを捕虫網で捕らえたものだが、当初、この生き物は「ヤマネ」と考えられていた。
 というのは、北軽井沢の地元の人々が、そう言ったからだ。彼らは、柱を齧られてもジャガイモを齧られても「ヤマネに齧られた」と言う。
 「ヤマネのヤツが……」
 今になって考えてみれば、あるいは、これは高原に住む人間のプライドが言わせていた言葉なのかもしれない。つまり「軽井沢にはネズミなんていないよ」という。

2.ヤマネの帰還
 「ヤマネ」は小さかった。体長約2.5センチ。尻尾をまぜてもせいぜい5センチ程度しかなかった。
 で、この生き物は、「可愛い山の生き物」「愉快な自然の仲間」であると認定された。
 私自身は、なんとなく釈然としなかったが、結局「ヤマネ」は、虫かごに入れて東京に持ちかえることになった。

3.ヤマネの真実
 東京に戻ってネットやらCD-ROM百科事典で調べてみると、持ちかえった生き物が「ハツカネズミ」であることが判明。つまり、単なるネズミだったわけです。
 が、当のネズミは、既に「チピ」という可憐な名前を獲得しており、ザリガニの死去によって空家となっていた水槽を棲み家として与えられていた。

4.ネズミの成長
 ネズミは、ハムスターの餌とネズミ車を与えられて、順調に成長。現在、体長約8cm。
 まごうかたなきネズミである。
 で、夜行性の彼は、夜中中ネズミ車を回す。
「カタカタカタカタ」

 とまあ、そういうわけです。
 
 爬虫類キーパーである私は、ネズミにはちょっと複雑な感情を抱いている。
 というか、正直に言うなら、けだものは嫌いなんですね。
 しかし、どういうものか女子供というのは、
 ああいう生き物を「可愛い」と思うように条件付けられている。
「ちぴ」
 だってさ。
 まったく。

 その点、わがイギーは 生き物だ。

 勝負あり。
 まったく。

 私はインターネットに参入する以前、ニフティーのFペットというフォーラムに籍を置いていた(ROMですけど)のだが、その当時、各部屋を覗いていて、つくづく感じたのは、「けだもの好きはダメだ」ということだった。
 以下、各部屋の特徴を思うままに並べてみる。<表1参照>
<表1>ペットとその飼い主たちの傾向と対策
生物飼い主ペットの位置付け話の内容
犬猫さまざまパートナー、子供自慢話
げっ歯類一人暮し玩具独り言
爬虫類独身男性比率が高い研究対象知識のひけらかし
昆虫ほぼ完全に男性のみ収集対象観察報告
●犬猫の飼い主たちは、自分のペットを擬人化する傾向が顕著で、ために犬猫部屋の会話は、息子自慢や娘自慢の目立つPTA臭あふれる内容に傾きがちだった。小学生の父母会や、学習塾のガイダンス会場の雰囲気は、ちょっとこの部屋に似ているかもしれない。
●げっ歯類の部屋には、孤独な人が多い。単に、一人暮しの住宅事情ということかもしれないけど。
●爬虫類キーパーには、「飼い主」というよりも「研究者」寄りの人々が多い。それでも、カメキーパーは、ちょっと犬猫飼育者に似ていて、カメ自慢やカメちゃんラブラブ話(実際、カメというのは、しぐさから習性から、非常に擬人化しやすい特徴をそなえた生き物だったりする)が多いし、ヘビ使いの人々は、噛まれ自慢や絞められ自慢をしがちであったりする。ワニの人はやっぱりプライドが高そう。だって、みんなの憧れだから。

●虫の部屋の人たちは、全然、絶対的に「飼い主」なんかではない。昆虫は、死んでも価値を減じない(だって、標本になるから)からだろうか。とにかく、彼らは決して感傷的になったりしないし、ある場合には、自らの手で昆虫を殺すことも辞さないし、良い殺し方の情報交換も至極冷静におこなっていたりする。
 読む側としての意見を言うなら、なんと言っても、昆虫の人々の文章が一番面白かった。昆虫飼育者たちは、名文家ぞろいなのだ。
 観察眼が鋭い(というよりも、昆虫愛好者というのは、生まれながらの観察好きなのかもしれない)からなのか、彼らの文章は、感情に流れることがなく、非常に硬質で、読んでいて気持ちが良いのである。
 しかも、どの文章にもそこはかとないユーモアがある。
 このユーモアは、狙ったものではないのかもしれない。
 というのは、いい大人が、虫を追いかけていたり、三時間も標本を見つめていたりするということは、それだけで、十分にユーモラスであったりするから。

 もうひとつ、言い足しておく。
 爬虫類部屋において、げっ歯類(「げっしー」と呼ばれていた)の話題は、すなわち「餌」の話題であった。
「隣の部屋の人たちに聞こえないように(~_~;)」とか、前置きをしながら、ヘビ使いたちは、初心のヘビキーパーに「ネズミの効用」を熱心に説いていたものだ。
「完全栄養ですから」
「そう、トリのササミばっかりじゃカルシウムもミネラルも不足しますよ」
「やっぱり、ネズミは骨も内蔵もぜーんぶあるし、何より、生きてますからね」
 ってなわけで、ニシキヘビやオオトカゲを飼っている本格派の爬虫類キーパーは、同時にマウス(ハツカネズミですね)やラット(実験用のドブネズミ。ちょっと大型)の自家飼育(「繁殖」と呼んでいましたね、結局はエサですから)でもあった。
「マウスは良いですよ。よく増えるし、栄養があるし、それにちょっと可愛い(^.^)し……」
 味わい深い会話だと思う。
 でもって、
「ピンク(毛の生えていない赤ん坊のマウス)を与える時には、机の角にでもぶつけて、気絶させてからやるようにしてください。生きて動いてるのしか食べなくなるとやっかい(指を噛まれたりしますし、ササミとか冷凍マウスとかに餌付かなくなりますから)ですからね。でも、くれぐれも殺さないように、適度な強さで打ちつけるように」
 なんて話が盛り上がっている隣の部屋では、
「うちのハム太郎(はあと)におよめさんが……」
 なんて話をしてるわけなのだからして、これだから掲示板ウォッチャーはやめられないわけだ。


9月1日 水曜日 晴れ
 巣鴨。
 帰りに後楽園のH氏を訪問。MP3のデータを渡す。

 名波は8日のイラン戦には出ないという。
 当然だろう。
 名波にとっても、日本代表にとってもその方が良い。
 協会は客を呼びたいのかもしれないが、そうそういつまでもスター選手目当てのミーハー客にばかり頼ってはいられない。
 何より大切なのは強化だ。
 日本の中盤には有望な選手がたくさんいるのだから、この度の名波の欠場をむしろ新タレント発掘の好機とすべきだ。

 うーん。
 オレって、サッカーに関しては、まるっきりの正論オヤジだな。
 公のための云々だとか、自己犠牲だとか、そういうフレーズが何の疑問も無く舌先から出そうになるんだから自分ながら驚きます。
 ってことで、関係各方面の皆さん、オダジマはサッカー限定のナショナリストだってことで、ひとつ大目に見てやってください。
 そうです。
 サッカーに関しては、オダジマは完全な富国強兵論者です。
 でありますからして、個人主義に基づく民主的組織運営手法なんかには見向きもしません。だって、サッカー用語としてのリベラルは「腰抜け」と翻訳すべきタームですから。 
 

9月2日 木曜日 晴れのち雨
 午後2時にケーブルテレビの工事業者がインターネットのケーブル工事をしにくるはずになっていたのだが、こっちの準備ができていなかったので、延期してもらった。
 各部屋にあるテレビのアンテナ端子が、完全に家具に埋没しているからだ。
 まったく。
 捨てるべきものを捨てていないからこういうことになる。
 わかっていたことなのだ。
 狭いマンションに暮らしている身にとって、不要品は単に不要なだけでなく、空間を侵食する敵なのだ。
「そうです。意図のないボールキープは戦術上最悪です」
 おお、これは、ベッケンバウアー先生。そうです。先生は、常に最適な判断をしていました。フィールドの上で、あなたがミスをしたのを私は見たことがありません。
「いいえ、私も時にミスをしました。パスすべき時にドリブル突破をはかったこともあるし、ドリブルで抜くべき時に横パスを出してしまったこともあります」
 はあ。
「ミスは、プレイヤーである限り、万人に起こり得ることです。というよりも、サッカーの神の目から見れば、我々が芝生の上で為している行為は、多かれ少なかれすべてミスなのです」
 はあ。
「ただ、私は、パスであれ、ドリブルであれ、すべてのプレイを留保なく行いました。つまり、パスかドリブルかを迷いながらいたずらにボールをキープしている時間は、私のキャリアの中には一秒たりとも存在しなかったのです」
 ということは、つまり、アレですね。捨てようか保管しようか迷いながら、とりあえずみたいなことで、暫定的に部屋の隅に積んでおくような家財の扱い方は最悪だ、と、そう言いたいのですね?
「違うな。突破だよ。突破」
 おお、これは、マラドーナ先生。
「判断だの留保だのって、フランツのオヤジはコ難しい理屈を言ってるけどな。サッカーには判断なんかいらないよ。常に突破あるのみさ」
「ディエゴ君、それは違う。フィールドの上には、常に幾千の選択肢があり、その中にたったひとつだけ最善のプレイが存在するのだ。そして、プレイヤーは、千変万化する状況の中で、常に最善のプレイを模索し続けねばならないのだ」
「フランツ。最善のプレイってあんたは言うけど、平たく言えば突破ってことだろ?」
「ディエゴ君。考えてもみたまえ、敵のディフェンダーが前後左右から包囲してきたらどうする? それでも突破をはかるのだとしたら、それは風車に向かって槍を突き立てようとしたあのスペイン人のやり方と同じじゃないか」
「囲まれたら? オレは、斜め前にボールを蹴飛ばすよ。で、よーいドンで走ってオレが最初に追いついたら、それが突破ってことじゃないか」
「違うんだ、ディエゴ。私が言っているのは、そんなことじゃない。いいかい、サッカーの戦術というのは、サッカーを単なるボール追いかけ競争から解放するために考え出されたものだ。たとえば、パスを使えば、無理に走ることなく敵の包囲を崩せるじゃないか」
「それでも突破だよ。フランツ。パスなんて、突破ができないとわかってから出しても遅くはないさ」
「ディエゴよ。キミのような選手は、突破だけを考えていても十分にプレイができたのかもしれない。いや、実際、キミの規格外の突破力は、ほとんどすべてのディフェンダーを振り切ってしまうことができた。だから、キミの無謀な判断は、結果として、かなりの確率でスーパープレイを生んだ。しかも、キミの異様なスピードは、ディフェンダーに包囲された後でも、パスを出すだけの余裕を生み出すことができた。と、そのキミのパスは結果として『ディフェンダーを十分にひきつけた上で出される最上のキラーパス』ということになった。その通りだ。が、考えてもみたまえ、そんなものがフットボールだろうか? よーいドンで走ってどっちがボールに先に追いつくかを競うだけの、ドッグレースじみたスポーツに我々はこんなにも長い間人生を賭けていたというのか?」
「そうだよ、フランツ、ドッグレースだ。で、オレは最高の犬だったって、そういうことだよ」
「ああ、ディエゴ……」
 ディエゴよ。
 あんたは間違っていない。
 が、ディエゴ・マラドーナのフットボールは、人間離れしているという意味で、間違っていたのだ。
 話を戻そう。
 つまり、私が言いたかったのは、フランツ・ベッケンバウワー氏がいみじくも暗示していた通りのことだ。
 迷うな。
 捨てろ。
 2度と袖を通さない衣類を保管している箪笥は、機能としてはゴミ箱と同じなのだからして、丸ごと捨ててしまえ……と、そういうことだ。
 なに?
 カミさんに直接言えって?
 直接モノが言える人間は、そもそも文章なんか書かないよ。


9月3日 金曜日 晴れ
 昼過ぎから夕方まで、死んだように寝た。
 が、死んでいたわけではない。
 だって、目が覚めた時、生き返ったような気もしなかったわけだし。

9月4日 土曜日 曇り
 
 ネズミ逃亡!! 

 悲劇は、多くの場合、予期した通りの形でやってくる。
 私は、この時の来ることを、かなりの部分まで正確に予期していた。
「こいつの運動能力の向上からして、水替えやエサ補給のタイミングでジャンプを決められたらひとたまりもないな」
 と、常々そう考えていた。
 だからこそ、今日、水替えのために水槽の上ブタを外す時、私は、逃亡のスキを与えないために、細心の注意を払ったのだ。
 が、やっぱり逃げられた。
 テキは、まんまと上ブタの隙間をすり抜けて、まさしく私の予断したところの手順を踏んで、背後のスペースに逃亡して行った。
「あっ」
 と、私は、柏レイソルの下平選手にぶっこ抜かれた時のジュゼッペ・ザッペッラのように、ただただ呆然と立ち尽くしていた。
 細心の注意を払っても、やられる時はやられる。
 そういうものなのだ。
 わが同胞ジュゼッペが毎試合証明している通り、人生というのは、避けることのできない厄災であり、一種の偶発事故なのだ。
「じゃあ、どうして細心の注意を払う意味があるんですか?」
 うむ、良い質問だ。
 少年ファンの純真に免じて特に回答しよう。
 我々が失敗に備えて細心の注意を払うのは、失敗しないためではない。
 むしろ、失敗した時に「それでも、自分はベストを尽くしたんだ」と自らを納得させるために、私たちは努力しているのだ。
 そう。幸いなるかな、汝、抜き去られしディフェンダーよ、だ。
 油断しててやられた場合と違って、油断せずにやられた場合の方が、後悔が少なくて済む、と、そういうふうに万事、保険をかけてこなして行くのが大人のやり方なのだ。
 少年よ。
 失敗は避けることができない。
 とすれば、我々に与えられた課題は、どうすれば失敗と友達になれるか、という問題に還元することができる。
 いずれにしても、失敗の中においてこそ、人間の真価は問われるものなのだ。
「でも、それって、敗北主義って言いませんか?」
 うむ。
 鋭い指摘だ。
 が、少年よ。
 勝利主義という思想があったとして、また、その高邁なる思想を高く掲げて生きている人間がいたとして、彼は、決して敗北に順応することができないぞ。
 そんなことで人生をしのいでいけるか?
 その点、われら敗北主義者は、勝利にもなんとか対応できる。
 どうするのかって?
 キミは見たことがないのか? たとえば、駒場スタジアムの観客席で、私たちは年に何回か照れ笑いを浮かべる。
「えへへ、勝っちゃった」
 と、予期せぬ勝利に直面しながら、我々は居心地の悪い幸福感にしばらくの間浸ることができるのだ。


 午後2時から5時までたっぷり3時間、ネズミ捕獲のために奔走。
 東奔西走
 南船北馬
 右往左往
 前後不覚
 天地逆旅
 その昔、「トムとジェリー」という漫画があったことを思い出す。
 お約束のスラップスティック。
 毎度おなじみのオーバーアクションの笑い。
 私は、大嫌いだった。
 今になって、その理由がわかる。
 おそらく私は、トムの身に自らをなぞらえながら、あのアニメを見ていたのだ。
 幼いながらに、自らの将来を予見していた私は、自分が間抜けな追跡者タイプであることを自覚していたのだ。
 先験的切歯扼腕。
 事に先立つ後悔。
 幼児性鬱病。

 午後5時、ネズミ再捕獲。
 徒労感。

 おっと、浦和VS磐田がはじまってるじゃねえか!!
 ってことで、後半から観戦。

ball20.gif浦和VS磐田(於国立競技場)
1-2でVゴール負け。決勝点は、フジの放送が終わっていたのでニュースで確認した。福西にやられすぎ。
<  これ以上の論評は控える。

ディフェンスの浦和がら秋風ぞ吹く

 今日の涼風が、冬の始まりでないことを祈ろう。
 ぜひ。