12月22日 日曜日 晴れ
 どうも、お久しぶりです。
 もう少し早く復帰するつもりだったのですが、なにしろ12月にはいってからこっち、死ぬほど忙しかったものですから。

 いや、にわかに売れっ子になったとか、そういうことではない。
 9月から、週刊誌(読売weekly)の連載が始まったので、多少スケジュールがタイトになっているのは事実だが、だからといって仕事量が倍増したわけでもない。
 12月の日程表がとんでもないことになったのは、簡単に言えばスケジューリングのミスだ。
 11月中に片付けておくべき(せめて手をつけておくべき)だった仕事を、すべて年末に引っ張ってきたために、それらの臨時の仕事の締め切りが、定期刊行物の年末進行と重なってしまったわけです。
 結果として、いくつかの方面の方々に色々と迷惑をかけることになってしまった。 
 反省しよう。

 反省は反省として、一段落したので、webを再開することにした。
 この半月ほど、いつになく勤勉に働いてみて、ルーティンワークの大切さにあらためて気づかされた。
 意外なことだが、原稿は、ある程度の量を書くことで、質的にも安定する。
 というのも、アイディアは、定量的なものではないからだ。
 原稿のネタは灯油とは違う。使うと減るタイプの資源ではない。むしろ荒地の井戸に似て、汲まずに放置していると、いつの間にか枯渇してしまうタイプの何かなのだと思う。
 
   私の場合、たとえば、半月ぐらい1行も書かないでいると、サッカー選手の言う。「ゲーム感が戻らない」状態に陥る。
 アイディア云々もさることながら、まったく机に向かう気力がわいてこなくなってしまうのだ。
 そう、気力だ。
   アタマの中に渦巻いている情念だの感覚だのといった不定形な言葉を、多少とも合理的な散文という形式にして吐き出すために決定的に必要なのは、アイディアでもなければテクニックでもない。むしろ、根気だとか、気力だとかいった、泥くさいものだ。

   そういう意味では、ネタがあろうが無かろうが、アイディアが浮かぼうが浮かぶまいが、ノルマとして、とにかく一行でも二行でも書く習慣をつけておいた方が良いということだ。

 イラスト、写真などかなりたまっているので、徐々に更新して行きたいと思っております。
 まずは、ごあいさつまで。
02/12/22/日 20:45



12月23日 月曜日 晴れ
 昼過ぎに起床。
 原稿を一本。
 夕刻より実家に出動。
 ペリエを生で飲む。
 とても不味くてびっくり。


 年末の回顧特集にからんで、トルシエ関連の論評が出回っている。
 選手、スタッフ、記者、通訳、さまざまな立場の人間が、それぞれの立場から見たトルシエについて思い思いのことを言っている。
 それぞれにもっともだと思う。
 誰がどういう立場で言った言葉であれ、本人が真摯に語った言葉である限り、そこには必ず一定量の妥当性がある。
 いずれにしても、真実は一つではない。
 多様で不確実な真実が、不定形で流動的な立場の間で揺れ動いているのが、サッカー場における現実のありかただ。
 って、ヘンな言い方だろうか?

 何が言いたいのかと言うと、カネコ君の言っていることはヘンだぞ、ということだ。
 つまり「ロシア戦では、トルシエの指示に逆らってラインを上げなかった」という宮本の発言が、事実であるのだとしても、だからといって、そのことをもってすなわち「フラット3の崩壊」が証明されるわけではない。
 先日観た、「ニュース23」の特集では、フラットスリーは、最後の土壇場で選手に見捨てられたお仕着せのロボット戦術だってなことになっていた。
 つまり、「日本代表の成長」がすなわち「フラットスリーへの決別」であったというストーリーが、ひどく恣意的な編集によって展開されていたわけなのですね。
 で、そのストーリー(「さらば小心者の戦術オタク、トゥルシエよ」ってなところか?)を紡ぎだした犯人が、カネーコさんだったってわけだ。

 宮本や中田コが、ワールドカップの試合で、ラインの押し上げをためらったのは、至極当然な(もちろん、当事者である彼らは迷っただろうが)成り行きだった。だって、相手は本気で責めてくるガチンコの相手で、舞台は絶対に失点の許されないW杯本番だったわけだから。
 そういう中で、相手の力量と特徴を見極めてラインの位置を調整することは、ディフェンダーなら当然しなければならないことであるし、むしろ、一から十まですべてを監督の指示通り動く選手は、真っ当なプレイヤーとは呼べない。
 敵方のDFから配給されるロングボールの精度が高く、なおかつ対面のFWがスピードと高さを備えているのだとしたら、そうそうラインを上げられるものではない。逆に相手の攻撃に怖さが脅威でないのであればラインはどんどん上げるべきだ。
 ラインの位置は、チーム戦術として常に一定の高さにあるわけではないのだ。まあ、当たり前の話だが。
 結局、ディフェンスラインの位置取りは、相手との力関係や試合展開によって変化するというそれだけの話だ。

 もちろん、試合前の監督の指示と、実際に敵と当たってみた時のディフェンダーの感覚が食い違うことだってあるはずだ。そういう場合、優秀なディフェンダーは、監督の指示よりも自分の皮膚感覚を重視するのであろう。それはそれで一つの判断だ。というよりも、監督の指示がなければ何もできないようでは、DFリーダーたる資格を持っていない(トルシエ自身が度々繰り返していたように、「時には赤信号をわたらねばならない」のだから)。


 フラットスリーに決別を告げたのはその時だった。
 3点目を狙うベルギーの攻撃をクリアで跳ね返した瞬間、中田は宮本がラインを押し上げようとしていることに気づいた。考える間もなく、絶叫が口をついて出ていた。
「ツネさん、上がるな! いいんだ、ラインはそのままで!」
 宮本に要求していることが、トゥルシエ監督のもとで4年をかけてやってきたシステムを否定するに等しいことを中田はよくわかっていた。これで失点を喫するようなことがあれば、監督はすべての責任を選手達に押しつけてくるだろう。そこまで考えてもなお、彼は叫ばずにはいられなかった。
 以後、日本の守備陣がオフサイドトラップを狙うことはなかった。試合は2−2のまま終了した。
 賽は投げられた。
 ワールドカップにおける初の勝ち点獲得に日本中が沸き返った6月4日の夜、中田浩二はそのことを静かにかみしめていた。
(以上、Number1/9日号、P47より引用)

 卑怯な書き方だと思う。
 この人のやり方はいつも同じだ。
 ちょっとした誇張を積み重ねて、最終的にはとんでもないストーリーをでっちあげてしまう。
 ○○が○○した瞬間は、まさにこの時だったのである。
 てな調子の見て来たような歴史講談。
 まったく。
 
 寝よう。
 欠席裁判の弁護人には休息が必要だ。
02/12/24 03:08:52



12月24日 火曜日 晴れ
 ジョーストラマー死去。享年50歳だそうだ。合掌。
 いや、実はあんまりよく知らんのです。
 同じ時代だと、JAMだとかピストルズ、ブームタウンラッツなんかは多少聴いていたのだが、クラッシュは素通りしてしまった。
 というよりも、パンクムーブメント華やかなりし頃、私はなぜかキングクリムゾン再評価運動だとかELP完全制覇だとかいった、ちょっと方向違いの努力を続けていた。どうして80年代をヒキコモ音楽で間に合わせてしまったのかは、今となっては謎だが。
 なにはともあれ、ブリティッシュロック界の功労者の死去は残念だ。
 「ロックンローラーに紫綬褒章を」運動のためにも、もう少し長生きしてほしかった。


 
 Y田邸にて夕食。
 泡酒で乾杯する罰当たりな異教徒に囲まれながら、脳内ジーザスは、中国茶を飲んだ。
 アルコールとは6年前に絶縁している。
 ストーンコールドソバーに祝福あれ。
 半月冷凍モノのケーキは謝絶。
 無論、冷たい七面鳥も遠慮。
 この時期に七面鳥を食っているヤツは、食われているのが自分の方だということに気づくべきだ。
 そう、あんたらは、鴨だ。
 クリスマス商売のおいしい鴨。
 電飾みたいに短絡的な連想回路。
 主よ。
 わたくしたちの家の玄関に飾ってあるクリスマスのリースは、心悪しきセールスマンを呼び寄せるためのランドマークなのでしょうか。
「この家の住人は、見え透いた演出に心をときめかせる軽薄な魂の持ち主です」
 という、破滅的な独白が、緑色の葉の間から漏れ出しているのでしょうか?
 
 時折、思い出したようにテレビをつけては5秒で消す。
 クリスマス時期のTV番組は、どれもこれも、殺人的に腐っている。
 明石家サンタの一人笑いを眺めながら、どこが面白いのかわからないでいるオレは、もしかしたら何かに乗り遅れているのだろうか?
 それとも、彼らはクリスマスイブの夜をテレビ視聴で過ごす孤独な視聴者層に対して、呪いを投げかけようとしているのか?
「ほら、もっとカネを使えよ」
 というのが、クリスマス普及派の統一見解なのか? 
 バカな消費者の、無反省な消費だけが、この国の産業界の思い描く最後の切り札なのか?
 ともあれ、素人娘の貞操が半額で売りに出されるこの夜、シティーホテルは特別料金を設定することで、セックスの流通価格を調整している。
 素晴らしいバランス感覚といわねばならない。


02/12/25 19:39:33


12月25日 水曜日 晴れ
 午後まで寝る。
 天皇杯を観ながら空腹に耐える。
 
ball20.gif天皇杯準々決勝 鹿島VS川崎
相変わらず鹿島は強いんだか弱いんだかよく分からない。
レッズとの対戦でもそうだったが、中盤でボールキープができているわけではないし、前線が脅威なわけでもない。なんだか最終ラインだけが無駄に(はい、無駄じゃないことはわかってます)堅い感じ。
柳沢も、良いんだか悪いんだかわからない。
素晴らしい動きで裏に抜けたかと思うと、素人でも決められそうなチャンスできれいにフカしている。
そして、キーパーに当てる半端なループ。必ず5センチだけ大きすぎるトラップ。敵、味方、観客のすべての意表を突くスルー。

名良橋も怖いんだか怖くないんだか全然わからないし、モトやんも、オガサも、見事に中途半端。
それでいて、なんだか知らないうちにやられている。
 まあ、こういうのを強いと言うんでしょうな。
 結局、後半20分過ぎに、アウグストのクロスをモトやんが決めて1-0。
 ほとんんど角度の無いシュートだったが、キーパーとニアのポストの間の数十センチに見事なボレー。
 見事でした。

 試合終了後、原稿執筆に専念。
 結局、今年は、来年が来るまで終わらないようだ。
 当たり前だけど。
 もしかしたら、来年になっても、まだ今年が続いているかもしれない。
 と、オレは倍速で年を取るんだろうか。

02/12/26/木 01:01


12月26日 木曜日 晴れ
 歯痛で眠れず。
 朝6時過ぎ、思い余って昨日歯科医にて詰めた詰め物を自力で外す。
 と、急に楽になる。
 おそらく、患部を詰め物が圧迫していたのか、でなければ、歯茎の腫れとバッティングしていたのであろう。
 楽になると急に眠くなってそのまま就寝。
 眼が覚めると午後1時過ぎ。
 ごろごろしているうちに夕暮れ。
 夕食前に原稿を一本。
 で、一日はおしまい。
 寝よう。

02/12/27 01:30:45


12月27日 金曜日 晴れ
 午前中、池袋に出動。保険を解約。
 正午、大手町にて打ち合わせ。
 帰途、有楽町BICP-KANに立ち寄ってキーボード(Justy製、89Keyミニキーボード、1980円)を購入。
 特にミニキーボードが必要だったわけでもないのだが、マウスとかキーボードは、定期的に交換したくなる。1年ぐらい同じものを使ってると、そのキーボードが大嫌いになってくるのだ。
 ま、原稿執筆のストレスを、キーボードに肩代わりさせているということなのでありましょう。
 で、新しいマウスを買ったり新品のキーボードを手に入れたりすると、しばらくの間、なんとなく気がまぎれるような気がする、と。
 2000円で1週間ぐらい新鮮な気分が味わえたらそれはそれでオッケーかな、ということで衝動買いをしたわけだが、1980円の商品はやっぱり値段なりの質感。ストロークの浅さがなんともいえない。じきに嫌いになるだろう。
 

12月28日 土曜日 晴れ
 昼過ぎまで寝る。
 起きてからは、ずっとサッカー漬け。
 
ball20.gifJユースカップ決勝 ガンバ大阪ユースVSサンフレッチェ広島ユース ball20.gif天皇杯準決勝:京都VS広島
ball20.gif天皇杯準決勝:鹿島VS市原
夕刻、BS-Hiビジョン放送で、沢木耕太郎の日本代表検証番組を録画。
途中、5分ほど観るが、あまりにも不快な語り口に視聴を断念。正月のヒマな時間に突っ込みどころを探しながらビデオ鑑賞することにけってい。
「トルシエの指揮官としての心の震えが……」
 いや、トルシエの悪口を言っていたから不快になったわけではない。
 私がトルシエびいきであることは事実だが、だからといって、トルシエを批判する意見のすべてに不快を感じるわけではない。
 トルシエ批判の意見に対しては、多くの場合、単に反発を感じる。
「えー、違うよ」
 といった程度。
 違和感を覚えることも多い。
「何言ってんだ? 論点が違うんじゃないか」
 という感じ。
 時には感心させられる場合もある。
「なるほど。トルシエが失礼な野郎であるということは、これはどうしようもない事実だな」
 と。

 そんな中、カネーコ氏、ハセ氏、および沢木先生の文章は、不快感をもたらしてくれる。結局、論旨(トルシエ批判)ではなく、語り口が不快なのだね。この人たちの場合は。
 おそらく、沢木耕太郎がトルシエ賛美の主旨で原稿を書いても、私は不快感を感じると思う。どうせ、あの文体の、あの持って行きかたの、あのムードであることは変わらないんだろうから。

 不快感は、パブリックな事実からプライベートな物語を紡ぎ出す沢木君の手法の胡散臭さに起因している。
 沢木先生は、人々の言葉や事実の流れを、恣意的に読みかえて、沢木流の沢木節で沢木物語を作り上げる。
 不快。
 それから、文体のクサさ。
 テレビ用のナレーションであっても、あの独特の濡れた文体を引っ込めない厚顔さ。
 思うに、この人の欠点は、50歳を過ぎてなおナルシシズムから逃れられずにいるところにある。「観察者としての沢木」の存在が、常にルポの対象よりもデカい。そのあたりが、どうしようもなく全共闘世代的ですね。
 固定客はいざ知らず、沢木ファンでもなんでもない私のような人間から見れば、この人の仕事は、出来の悪いロックミュージック(具体的に言うなら、精神性として完全に演歌マインドな形式主義のロックンロール。実例を挙げるなら、一時期のヤザワを筆頭とするナルシスロケンローラー。キッカワコウジ、ツジジンセイなどなど)にしか見えない。
 深夜特急?
 ははは。
 いや、若い時代に若気の至りで若書きの処女作をカマす権利は誰にだってある。
 そういう意味では20年前の作品群はそれはそれで傑作だったのかもしれない。傑作でなかったとしても、二十代の若者が二十代の若者らしくセンチメンタルであったことを私は責めない。百歩譲って免罪してあげることにする。まあそれでも、独特の自己陶酔文体が鼻について、当時から私は読めませんでしたが。
 しかし、50歳を過ぎてなおBGM付きの朗読をカメラ目線でこなす仕事ぶりはいかがなものだろう。
 気取ってんじゃねえよ。
 と、ヒップホップの連中にドヤされても仕方ないんじゃないか?


 週刊文春を読む。
「時代と寝た女」
 という表現を久々に見る。  しばし追憶に沈む。
 そう。オレたちが高校生だった頃は、この種の穴があったら挿入したい感じの、どうにもこうにも恥ずかしくてたまらない修辞法が日本中に横溢しまくっていたものだった。
 時代と寝た女
 大仰で、独りよがりで、不正確で、しかも助平ったらしい上に似非詩人臭ふんぷんの、どうにも救いようのない全共闘メタファー。
 こういう言い回しが詩的だったり知的だったり批評的であったり示唆的であったりすると、当時の文化人(沢木!、阿久悠あたり)は、思い込んでいたのだろうか。
 あらゆる事象を性的な比喩で表現し、すべての関係をセックスになぞらえて理解していた彼らは、単に助平であったというより、確信犯として性的な人間であった。
 時代と寝た女。
 今聞けば下品なだけの表現だが、こういう恥知らずなセクハラ形容がポエティックに聞こえていた時代が、確かにあったのだ。
 いや、助平はどの世代にもいる。団塊だけが突出して多情好色なのではない。それはわかっている。
 ただ、全共闘の連中は、助平であることを知的で進歩的でおしゃれで革命的なことだと考えていた。そこが他の世代と決定的に違っている。
 彼らは、性的なことを考えたり、たくらんだり実行することについて、あんまり恥じらいを持たない。それどころか、性的な事柄について、積極的に口外し、公表し、宣伝する。それも、インテリを自認する連中がそれをやる。
 実存主義の受け売りなのか、左翼思想を曲解した何かなのか、それとも戦前の禁欲主義に対する単なる反動なのか、ともかく、彼らは、性的に放縦であったりすることが人間の自由さの証明であると考えていた。
 バカ。
 沢木耕太郎が助平なのかどうかは知らない。
 あそこまで自分が大好きだと、他人にまで欲望が届かないかもしれない。

 とすると、助平より始末が悪いな。ナル中年は。


12月29日 日曜日 晴れ
 ヘンな一年だった。
 仕事はあんまりはかどらなかった。
 でもまあ、2002年は、トータルでは良い年だったと、そういうふうに総括しておく。
 だって、禁煙に成功したから。
 禁煙は、素晴らしい達成であった。ここ数年で一番意義ある成果かもしれない。
 ん? 禁煙は「なにかをやめること」なのだから、「達成」とか「成果」という言葉にはなじまないって?
 そうかもしれない。
 でも、何かをやめることは、多くの場合、何かをはじめることよりも意義深いのだよ。
 まして、こういう時代なんだし。
 
禁煙時間 0年 6月28日 7時間35分
吸わなかった煙草 10919本
浮いたタバコ代 141947円
延びた寿命  41日16時間54分
(禁煙マラソンカウンターより)

 なるほど。14万円。半年でPCが買えるわけだ。
 健康(タンがからまなくなった。呼吸が楽になった)と利便性(胸ポケットの無い服が着られるようになった。スタジアムや公共の場所で喫煙所探しをせずにすむようになった。同室の他人に喫煙の失礼を詫びる必要がなくなった)の回復もさることながら、JTの悪党に上納金を納めずに済むようになったことがなにより嬉しい。
 JTの諸君は知っておいた方が良い。
 愛煙家は、君達を憎んでいる。
 愛煙家は、煙を愛しているのではない。
 タバコを愛しているのでもなければ、ましてJTを愛しているなんてことは、絶対にない。
 というよりも、愛煙家という名称自体が、悪質なプロパガンダなのであって、喫煙者の正体は依存症患者に過ぎない。誰も好んで煙を吸い込んでいるのではない。煙を吸わないと呼吸が苦しいという自縄自縛の状態に追い込まれているがゆえに、余儀なく呼吸を楽にするために肺を傷つけている、と、それだけの話だ。
 たとえば、シャブ中を愛粉家と言うか?
 ジャンキーを愛針家と呼ぶのか?
 たばこが心の日曜日なら、シャブは夏休みか? 
 アヘンは心の大晦日。
 で、心の日曜日は諸君の給料日で、誰の命日なんだ?
 
 もちろん、賢明な男である私は、喫煙者であった頃から、JTを敵視していた。
 同じ思いの喫煙者は多い。
 というよりも、JTに好意を抱いている喫煙者なんていないぞ。
 首輪に愛着を抱く犬じゃあるまいし。
 そう。
 タバコの最大の被害者は喫煙者だ。
 加害者であり被害者であるというどうにもならない自傷行為的な立場に追い込んだのは、JTだ、と、年季の行ったニコ中患者は、みんな気づいている。
 であるから、願わくば、嫌煙運動家は、喫煙者よりも、タバコ会社を標的にしてほしい。
 JT医薬品事業部。
 いや、ブラックジョークじゃなくて、実在するんだな。これが。
 チェコ海軍。ロシア文化省。北朝鮮政府肥満防止対策局。
 寝よう。
02/12/30 03:31:56


12月30日 月曜日 晴れ
 朝方、大宮まで見送り。
 ついでに、大宮の町を散策。
 西口のSofmapを冷やかした後、駅の東側を歩く。
 うーむ。しばし絶句。
 時間がとまっている。
 特に駅の高島屋の裏手がすごい。戦災を焼け残ったとおぼしき木造建築が散在している。文化財……ではない。むしろ露骨な貧乏屋敷。板張りの外観が崩れて、泥壁が露出している。
 この種のモルタル以前の建築は、建築基準法に違反(そもそも火がつきやすいし、モルタルの外壁が無いから自己完結の火事では終わらない。必ずや延焼する)していないのだろうか。法の施行以前に建てられた建物(←焼け残り)については、建築基準法が適用されないってことか?
 それにしても、どうしてこんな建物が残っているのか、不思議でならない。
 市街化調整地域にかかわる許認可の何かだとか、土地の所有権や居住権に関するいざこざとかでもめていて、再開発のゴーサインが出ないまま放置されているとか、そういうことなんだろうか。

 高島屋の古さもなかなか。築50年はカタいと思う。3日ほど前に池袋三越を覗いてその旧態依然ぶり(←デパガの平均年齢は40歳を超えているはず)に驚愕させられたが、大宮高島屋はどうやらそれ以上だ。
 たまには外を歩いてみないといけない。
 世界には私の知らないことがいっぱいある。
 ほんの近所の町にさえ、実際に自分の目で見ないと信じられないような、不可思議な事象がごろごろ転がっている。
 勉強になった。

 高島屋から道を挟んで向かい側のビルは、さらに古い。
 間違いなく戦前の建物だと思う。おまけに、この何十年か、まったく改装されていない様子。すごい。1階には店舗がはいっている(まあ、駅前の一等地だし)が、二階から上(5階建てぐらい?)はたぶんゴーストタウン。いや、それはそれで店なりヤクザの事務所なりがはいっていたりするのかもしれないが。
 「中央デパート」という看板を掲げているビルヂングもすごかった。地元資本の百貨店なのだろうか。なんだか昭和40年代の風情。
 デジカメを持って歩いていれば良かった。


サップ結婚
 というデカい見出しにつられて大宮駅で東京スポーツを購入。
 120円を支払うも、キヨスクのおばちゃんに注意を促される。
「……ひゃくごじゅうえんです」
「あ、すんません」
 とモゴモゴ言いつつ30円を出すと、さらにおばちゃんの声。
「二百五十円!」
「……え?」
 なんと、お正月特別号ということで東スポは特別定価250円で販売されている由。厚さは普段と変わらない(32面。ちょっと厚めかも)のに。
 でもまあ、手に取ってしまったことだし、おとなしく追加の100円玉を出す。
 まったく。
 サップ結婚の真相を探るべく新聞を広げてみると、見出しの折り目の下側に「宣言」という小さな字がある。
 つまり、「サップ結婚宣言」というのが、ひとつながりの、正式の見出しであるらしい。
 ひどい。
 しかも、記事を読むと、どうやらサップは結婚宣言すらしていない。
 単にお年玉新春大予想の一貫で、記者の脳内取材で書いただけの文言。すごい。
 次の面を開くとさらにすごいことになっている。
 である(見出しの下には、200文字程度の本文が付いているのだが、あんまりアホらしいので割愛)。しかも、松井は黄金のスケベイスを高く掲げた写真付き。
 もちろん、真っ赤な嘘。
 東スポ名物各界有名人2003年言(こと)はじめ 110人爆言!! 宣言!! 大予言という見出しの下に小さい字(9ぽGベタぐらい)で、「写真は合成。セリフは想像です」とある。
 ふざけている。
 っていうかあまりにも見事。
 電車内で一人で脱帽した。
 腹も立たない。
 完敗だ。
 もし同じことをスポニチとか報知にやられたら、おそらく私は猛烈に怒っていると思うのだが、なぜか東スポには何回だまされても腹が立たない。
 しょせん東スポ。
 と、あらかじめあきらめる回路が頭の中にできてしまっている。

 紙面でマナ板にあげられた有名人の皆さんも、たいして腹を立てていないと思う。
 しょせん東スポだし。
 と、そう思っていることだろう。
 うーん。
 考えてみればなかなかおいしい立場だよなあ。

 仮にマジ切れした有名人が東スポを告訴したとしても、告訴した方が恥をかく。
ネタニマジレス カコワルイ
 そう。
 おとなげないよ、東スポに腹を立てるなんて、と、そういうことになっているのだ。
 うーん。おいしい立場だ。
 報道被害と呼ぶにはあまりにもネタっぽいツクリの紙面。
 釣り紙と名づけよう。
「東スポで信用できるのは日付だけだ」
 と誰かが言っていたが、実は日付すら一日前倒しになっている。
 ってことは、東スポは、ずうずうしいことに、常に明日付けの記事を書いていたわけで、ってことは、あれは新聞ではなくてSFだったのだな。
 よかろう。
 許してやる。
 でも、ネタだと思って読んでみると、これがまったく面白くない。
 単なるスベったジョークだったりする。
 ま、正月にあらわれる困った親戚みたいな存在だな。
 お年玉もよこさないくせに酔っ払ってつまらない駄洒落を飛ばしまくって、しまいには説教までかます鼻つまみ者の伯父。



12月31日 火曜日 晴れ
 独身生活を満喫。
 といっても、テレビをザッピングしているだけだが。

 ザッピングは疲れる。
 というのも、ザッピングをしている間、私の頭は、かなりとんでもない量の情報処理をしているからだ。具体的に言うと、瞬間的に切り替わりつつある画像から、番組のジャンル、主題、制作年代、予算規模、出来不出来といった関連情報を読み取っているのだ。
 いや、単に決め付けているだけといってしまえばその通り(妻は私のザッピング速度に強いストレスを感じている)だ。が、少なくとも私自身は分かった気がしているのだ。
 ケーブルテレビを導入して以来2年を経て、私のザッピングタイム(ひとつのチャンネルから次のチャンネルに切り替えるまでの平均経過時間)は、2秒を切るところまで来ている。
 つい5年ほど前は、今現在ブラウン管に映っている番組が視聴するに値する作品であるか、そうでないのかを見極めるために、少なくとも5秒はかかっていたのに、だ。
 それが、たったの2秒でできるようになったわけだ。のみならず、2時間のバラエティー番組の録画を15分で見通せる(CM飛ばし、サーチ、倍速を駆使して)ようになった。良いことなのか悪いことなのかはわからない。
 それに、観ているんではなくて、単に突っ込みどころを探しているだけだと言われるなら、その通りだとお答えするしかない。
 だって、オレはバラエティーなんか大嫌いなわけだから。嫌いなのに観ているのは、結局ネタを探しているからで、つまりゴミ漁りの作業が効率化してきたというだけの話なのかもしれない。誰だって厭な仕事は手早くすませたいからね。

 不思議なのは、映画のザッピングだ。 
 相手が映画だと、0.2秒で判断がつくのである。
 不思議だ。
 映画通でもない(っていうか、映画音痴だよ)私が、どうして一瞥しただけでB級映画を識別できるのかは、ほとんど神秘と言ってよろしいかと思う。
 大まかに言って、B級映画には以下のような特徴がある。
 いや、実際にはこれだけではない。文字では表現できない、曰く言いがたい何かが「あ、これは観なくても良い映画だな」ということを教えてくれるのである。
 逆に、どこがひきつけるのか分からないがチャンネルが切り替わった瞬間に
「おっ」
 とこっちを3秒以上ひきとめる映画には何かがある場合が多い。
 アカデミー賞関連だったり、隠れた名画だったり、クソ映画だけどエロかったり。
 この問題については、来年また考えてみよう。
 おそらく、こと映像に関する感受性には、理知的な分析力とは別の、出所のあやしい能力がからんでいる。
 あんまり自慢できない能力であるような気がする。

 さあ、そろそろ実家に顔を出さねばならない。
 よいお年を。

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