4月21日 日曜日 雨
 朝から雨。
 どうにも気勢があがらない。

※赤塚不二夫氏危篤
 67歳だそうだ。
 この人については、
「ガンで闘病中も好きな酒とタバコをやめずに、自分流の生き方を貫いた」
 ということが、おおむね肯定的に扱われる。で、メディアに登場する際には、
「一生涯を好きなように生きた幸せな人」
 的な紹介のされかたが定番になっている。
 しかし、事実は違うと思う。そんなにほほえましい話ではない。
 若い頃に無茶な量の仕事をして、途方も無い額のカネを稼ぎ、それをまたとんでもない勢いで浪費しながら生きてきたこの人の人生は、まあ、豪快と言えば豪快だが、当人は必ずしもハッピーではなかったと思う。
 酒にまつわるエピソードも、なるほど豪快であるには違いない。が、おそらく世間に紹介されているような愛嬌のある出来事ばかりではなかったはずだ。というよりも、酒飲みの失敗談は、当事者(およびその近親者)にとっては、ほぼ100パーセント陰惨なだけの体験だ。
 赤塚氏の生涯を、脚色抜きで、実態に即して要約するなら「酒で身を滅ぼした」ということに尽きると思う。よくある「漫画家残酷物語」の一典型といっても良い。
 出版社をはじめとするメディアの人間たちがこの人を「天衣無縫の快男児」「時代を駆け抜けた天才」「常識を超越した酒仙」として扱う裏には、たぶん、一人の人間の才能を食い潰した側の罪の意識がある。
 作品が売れていた当時は、誰も彼の放蕩を止めなかった。
 むしろ、寄ってたかって彼の無頼を賞賛し、時には寄生し、ある場合には、酒の上の不始末を作品生産の圧力として利用した……いや、詳しい事情を知っているわけではないが、アル中さんが登場するストーリーはだいたい同じプロットでできているものなのだ。
 いずれにしても、彼の放蕩が作品の糧になったとする見方は間違っている。
 酒の力を借りて奇想天外な発想を……というお話も神話に過ぎない。だって、酩酊の中には創造のヒントなんかありゃしないからだ。酔っ払いほど型にはまった連中はいないからだ。酔っ払いが時に自分の考えに夢中になるのは、彼が自己の発想に対しての批判能力を喪失しているからで、決して酒に触発されて発想がドライブしたからではない。
 結局、この人がマトモな仕事をしたのは、三十代までで、それ以後は、ただの酔っ払いだった。つまり、最良の果実はあくまでも素面の赤塚不二夫から生まれたのであって、酔っ払いの赤塚は、ただの酔っ払いだったのだ。
 もっと残酷な言い方をするなら、50歳を過ぎてからの赤塚不二夫は、アルコール性脳萎縮におかされた廃人だった。勲章のように語られる離婚歴も、おそらくその実態は寒々とした修羅場に過ぎなかったのであろうし、最後の妻となった人の献身も、メディアが言うような美談であるのかどうかは疑わしい。少なくとも私は疑っている。
 うん。私は、アル中に厳しすぎるかもしれない。
 断酒した人間にありがちな、過度な潔癖だと、人は思うかもしれない。
 たしかに、そういう嫌いはあるだろう。
 だって、いまだに私は酒の夢を見てうなされていたりするわけだから。
 ともかく、アル中の実態は、世間の人々が退屈紛れに想像するような稚気あふれるファンタジーではない。シャブ中の醜態とたいして違わない。退屈で、ありふれた、ひとっかけらの創造性もない、単調できたならしい糞尿の匂いのする悪夢だ。
 アルコールが国法で禁じられていないのは、単にそれが税収を産む黄金の利権装置だからであって、決して酒が百薬の長であるからではない。
 うーん。
 言いすぎだろうか。
 適量を過ごさない限りは、アルコールにも一定の恩恵がある。それは認めてもよい。
 しかしながら、アルコール依存症患者に適量は存在しない。
 アルコホリックは、酒が少ないと感じている間中、何回でもコップに口を運び続ける。そして、ある段階を過ぎてアルコールが過剰になると、後ろにひっくり返る。それの繰り返しだ。昔ショーウィンドウの飾りとしてよく置かれていた水飲み鳥の玩具と同じで、コップと下水管の間で永遠の上下動を繰り返しているだけだ。余儀なく。
 寝よう。
 ムキになってはいけない。
 赤塚先生、天国でお会いすることがあったら、いっしょに水でものみましょう。
 アル中患者の行く天国には、たぶん酒は無いはずですから。
 

4月22日 月曜日 くもり
 ありゃりゃ、今朝の朝刊を見ると、各紙とも赤塚不二夫氏の危篤報道を引っ込めている。年齢も67歳ではなく、66歳となっている。
今朝のサンスポの記事http://www.sanspo.com/geino/g_top/gt200204/g_top2002042203.html
「一部で危篤説も流れ」(サンスポ)って……あんたがその「一部」じゃなかったっけ?
たしか、私は、昨日、サンスポの記事をソースに書き込みをしたと思うんだが……。

 ……うん、勇み足だったようだ。
 私の昨日の書き込みもちょっと勇み足だった。もちろん、勇んでいたわけではないが、書き方がちょっと断定的だった。赤塚先生がアルコール依存症であることが事実であるにしても、「廃人」という言い方は良くない。どんな状態であれ、生きている人間には固有の価値がある。でなくても、「廃人」という言い方は、人間を労働力としての有効性だけで判断してるみたいでよろしくなかった。
 おわびして訂正しておく。02/04/22 07:40


※昨日のサンスポの記事を発見したので、リンクを貼っておきます。弁解がましいけど(笑)02/04/22 08:09
21日の速報(サンスポ)http://www.sanspo.com/geino/g_top/gt200204/g_top2002042120.html


 夕方になって電話が2件。
 いずれも、〆切の告知。
 忘れていた。
 というよりも、より正確に言うなら、おそらく私は、この数日間、オバケを恐がる子供が暗闇の方を見ないように歩いているみたいな調子で過ごしてきた。
 で、やっぱり暗闇にはオバケがいたわけで、あらためてびっくりしています。(笑)


4月23日 火曜日 晴れ
※バカボンのパパはディランだったのだ。

西からのぼったお日様が 東へ沈む
これでいいのだ これでいいのだ
ぼんぼんバカボン ばかボンボン
 ご存知の通り、これはテレビアニメ「元祖天才バカボン」の主題歌の一節である。
 昨日、@2ちゃんねるの赤塚記念スレッドにコピペしてあったのを懐かしく眺めながらふと気づいたのだが、この歌は、かのボブ・ディランの名曲「I shall be released」に酷似している。

I see my light come shining
From the west onto the east
Anyday now,anyday now
I shall be released

私には見える
私の光が 西からやってきて
東に沈んでゆくのが
いつでも、どんな状況でも
私は解放される
われ解放されるべし

 うむ。ほとんど同じだ。
 時代的には、「I shall be released」の方が数年先行している。といって、私は、パクリだとか剽窃だとか、そういうことを言おうとしているのではない。ディランのパクリについて言及するなら、なによりもまず、松本隆の「木綿のハンカチーフ」が、「スペイン革のブーツ」の恥知らずな換骨奪胎であるという事実を指摘せねばならない。が、それはまた別の話だ。
 なによりも、バカボンの主題歌は、アイシャルビーリリーストへのオマージュとして出色の出来だ。「I shall be released」の最も適切な日本語訳は「これでいいのだ」でいいのだ、と言っても良い。
 赤塚先生はディランの愛聴者であったのかもしれない。

 ともあれ、この二つの、いずれも「価値の逆転」を主題としている妙ちきりんな歌は、70年代のクソ甘ったれた半可インテリと、その彼らによるちいちいぱっぱの腐れダンスムーブメントたる全共闘運動がようやく馬脚を現しはじめた時期に一世を風靡したものだが、逆転者としての勝負について言うなら、バカボンの勝ちだ。
 なんとなれば、「これでいいのだ」は、ディランの「I shall be released」よりも断然、先鋭的だからだ。ビートルズの「It's getting better all the time」や、ボブ・マーレーの「Every thing's be allright」と比べてみても、さらにさらに徹底的にラディカルだからだ。
 「これでいいのだ」は、単なる現状肯定ではない。
 スネっかじりの大学4年生がゲバ棒をネクタイに持ち替える弁解に採用したうつけた希望的観測でもない。
 一切合切の全肯定。
 70年代の全共闘が何かにつけて繰り出していた闇雲な全否定や、賢しらな疑問形仮定法への見事な回答。
 無条件幸福。
 見事だ。
 
 ちなみに、releaseに「射精」の意味があることから、「I shall be leased」には、ホモセクシュアルの暗喩(たとえば、西から昇って東に沈む太陽みたいに、どんなふうにだって、オレは射精できるんだぜ)という解釈がつきまとっている。そのデンで行けば、バカボンは、むしろ仏教の無常観に近い。多形倒錯的な幼児的性欲。色即是空。バカボンの語源には、サンスクリット語「バガボン」の音訳(莫迦梵)とする説と、フランス語のヴァガボンド(放浪者)由来とする二つの説があるらしい。詳しいことは知らない。受け売りだし。
 まあ、どっちでも良いことだ。
 いずれにしても、「これで良いのだ」の後ろにに付け加えるべき有効な言葉はひとつも無い。



※高原選手のアクシデントについて

 高原選手の病気について、ちょっと思うところを書いておきたい。
 もちろん、私には、医学のことはよくわからない。報道から得た情報の範囲で、素人があれこれ推理してみたところで何の役にも立たないことは承知している。であるから、病気について私見を述べようとしているのではない。
 ただ、心配しているのだ。
 具体的に言うと、もしかしたら磐田のチームドクターがヤブなんじゃなかろうかという点をおそれている。いや、ヤブだと思っているわけではない。万一ヤブだったらこいつは大変なことだぞ、と、そういうふうに思って懸念しているのだ。

 磐田のドクターは、もし自分の手に余る症例だと思ったら、体面や学閥にこだわることなく、高原の身柄をその道の名医の手にあずけてほしい。
 医者である以上、それなりの自信はあるだろうし、自負もプライドもあるだろう。
 が、高原選手の症例について、自分よりちょっとでも豊富な経験を積んでいたり、ほんの少しでも深い洞察を持っていそうな医者を知っているなら、ぜひ、相談してほしい。

 磐田のチームドクターに、高原を治す技量が無いと思っているのではない。
 必ず治してくれるだろうと信じている。
 が、治すだけでは足りない。一刻も早く、それも、最も適切な手順で治してくれるのでなければ、私は納得しないのだ。私以外の日本中のサッカーファンも同じだと思う。われわれは、ほんの一週間の治療の遅れすら絶対に容認しない。っていうか、遅れたらぶん殴るぞ。
 一般の患者なら、全治までの期間が多少長引いたところでたいした問題ではない。しかし、高原選手は一生に一度だけの自国開催のW杯を数十日後にワールドカップを控えた若者だ。しかもFWの柱で、伸二の幼馴染で……そういうことを抜きにしても本当に素晴らしい選手なのだ。
 ぜひ、賢慮をお願いしたい。

 名波のヒザを診ていた医師と、このたび、高原選手の病気を診ている医者が同一人物であるのかどうは知らない(ヒザと肺ではまるで診療科目が違うわけだから、たぶん別の医者が担当しているのだとは思う。同じだとしたら、その先生は田舎の雑貨屋みたいな医者ってことになる。とてもヤバい。)が、あの時の医師は、結果的に「誤診」と言われても仕方のない診断(つまり、「プロスポーツ選手に対しての診断」という意味では誤診だったということ。一般の患者を診る基準からすれば、十分に許容範囲であっても、だ)をした(名波の主治医はゴーサインを出していたが、ヨーロッパ遠征の時に名波を診たフランス人医師は、ただちに手術を勧めた)。
 小倉選手の例もある。
 彼の場合は最初に診た医者(たぶん名古屋の医者)がいけなかった。そして、手術が不適切だったことが彼の復帰を大きく遅らせ、結果として、代表から遠ざけることになってしまった。オランダの医師は、小倉のヒザを診て呆れたという。「どうしてこんな手術が……」と。ひどい話だ。

 無条件に一般化することはできないが、日本のスポーツ医学が遅れていることは事実だ。
 であるから、たとえば、プロ野球選手の間では、この10年ほど、「手術をするなら米国」という流れが半ば常識化しつつある。
 この流れができるまでにだって、ずいぶんと長い道のりがあったのである。
 最も古くは、ロッテの村田兆治投手が、「藁にもすがる思い」(というよりも、最後のダメ元の賭け)で、評判を伝え聞いたセンチネラ病院のジョーブ博士を訪ねたのが始まりだった。
 結果は、大成功だった。
 野球はもちろんのこと、アメリカンフットボールから、ゴルフ、陸上にいたるまで、全米のスポーツ選手の膝と肘について、数百例の執刀例を持つジョーブ博士は、やはり「投手のヒジ」という最高度に微妙かつ稀有な分野では、代替のきかない名医だったのだ。
 それでも、ほかの選手が村田の後に続くのは簡単なことではなかった。
 たしか、巨人の桑田がジョーブ博士の手術の診断を受けに行くときにも、相当の抵抗(「巨人のチームドクターの顔をつぶすのか」「球団の方針に従えないのか」「故障中の身でありながら、オレ流を通すのか」などなど)があったはずだ。
 が、ともかく、並外れて強い性格の持ち主である桑田投手は、周囲の白眼視を振り切ってロスアンジェルスに行った。これも成功だった。行ってなかったと思うとぞっとする。
 復帰の過程でも抵抗があった。頑としてジョーブ博士のリハビリメニューを守って球団の方針(「そろそろ投げて見ろ」みたいな)に従わない桑田の姿勢に対しては、いろいろと悪評がささやかれた。
 しかし、桑田は、それらの雑音を黙殺して己の信じるリハビリを通した。そうしていなかったと思うとぞっとするではないか。
 ともかく、そんなこんなで、野球の世界では、ようやく選手が個人的に専属のトレーナーを雇ったり、オフの間に球団と無関係な施設でトレーニングをすることが異端視されない環境がある程度整備されてきた。ここまで来るには、さまざまな選手やトレーナーがさまざまな軋轢を乗り越えてきたのである。
 サッカーの世界はまだ歴史が浅い。
 二十歳そこそこの一選手に過ぎない若者が、恩も義理もあるチームドクターに向かって「あんたのウデは信用できません」とは言いにくいと思う。他の医者を診断を仰ぐことすら、なかなかできないと思う。
 それでも、高原には、なんとかうまい理屈を見つけて、また、あらゆるコネクションを探索して、その分野の名医を頼ってほしい。
 結果的に、チームドクターの顔をツブしたところで、そんなことはたいした問題ではない。
 選手生命をツブすに比べれば、屁みたいなものだ。
 ま、老婆心かもしれないが。
 時には、老婆にしか救えない事態もある。


4月24日 水曜日 晴れ
 気持ちの良い晴天。
 終日蟄居して寝たり起きたり。
 何かをするために最適な日は、何もしないためにも最適だから。

タリバーン再結集阻止、アフガン南部で現金を空中散布http://www.asahi.com/international/update/0424/007.html
  目撃者によると、カンダハルの周辺やパキスタンとの国境近くなどで米軍の大型輸送機が連日、80万アフガニ(約3000円)とタリバーンやアルカイダの残党に対する通報や非協力を呼びかけた文書が入った封筒を投下しているという。
 物価の安い地方では80万アフガニは家族を1カ月以上は養える金額。輸送機を見つけると必死に追いかける住民が相次いでいる模様だ。(asahi.com)
 ははは。旦那戦術というのか、紀伊国屋文左衛門感覚というのか。
 ジープからチョコレートをばら撒いて以来のアメちゃんの伝統だな。
 
 それにしても、自らの手であれだけ壊滅的な爆撃を加えた当の国に対して、一転、現金をバラ撒いてみせる感覚は何に由来するのだろう。
 無神経?
 思い上がり?
 あるいは豊かさゆえの天衣無縫さぐらいに思ってほしいか?  いずれにしても、想像力の欠如は動かしがたい。
 バカ、ということも。
 こんなやり方でアフガンの民心が買えると、彼らは本気でそう考えたのだろうか?
 神様にでもなったつもりか?
 それとも、本当に、あの国の軍隊はそこまで間抜けぞろいなのだろうか?
 
 もちろん、誰だってカネはほしい。
 私だって、空から降ってきたら大いに喜ぶ。
 が、自分にカネを投げつけた人間に感謝するのかといえば、それはまた別の話だ。

 仮に、丸腰の米兵(でなければ、ブッシュ大統領ご本人@もちろん丸腰&警護ゼロ)が、危険を顧みることなく、アフガンの村を訪れて、病気の年寄りや飢えた子供たちのいる家の者に直接カネを手渡して歩いたのなら、アフガン人だって人間だ、きっと感激するだろう。感謝だってするかもしれない。反アメリカ感情だって多少はやわらぐ(ブッシュさんの場合、カネの切れ目がリンチのゴーサインだろうけど)に違いない。
 しかし、カネという人命にも等しいもの(貧者にとってのカネは、比喩であることを超えて、生命それ自体だ)を、飛行機からバラ撒く神経の持ち主は、決して尊敬されない。
 世界中のどこに行っても、空から降ってきたカネに感謝する人間はいない。
 カネには感謝しても、バラ撒いた人間には好感を持たない。
 むしろ、プライドを傷つけられて、反感を抱く。
 
 結論。
 この度の米軍の措置は、「アメリカは金銭に魂を売った悪魔の国だ」という、反米主義者のプロパガンダに傍証を与える結果にしかならない。
 バカだなあ。
 犯罪的に。


4月25日 木曜日 雨
 大量のイラストをアップ。
 この1年ほどの間に雑誌向けに描いた挿絵や、ヒマつぶしのスケッチなどです。
 完成度は必ずしも一定ではありませんが、まあ、余興ですから。

 疲れました。
 自分をほめてあげたいです。
   寝ます。
 オダジマをほめてあげたい人は、メールをください。
 
 私は、賞賛が好きです。
 空から降る現金もですが。
 
 
4月26日 金曜日 晴れ

ball20.gifデフラーフスハプ vs フェイエノールト
 未明、BSテレ朝にてテレビ観戦。
 試合は1-0で負け。惜敗。内容的には惨敗かも。
 いま、「痛い」を変換しようとしたら「遺体」が出た。
 IMEも分かっているようだ。
 リーグ戦は死んだ。
 われわれは、既にずっと前から遺体だったのかもしれない。
 試合後(午前5時過ぎ)就寝。
 目が覚めたら午後3時。
 遺体のごとき深い睡眠。
 いっそ目覚めないほうが本人のためだったかもしれない。


 夕刻近く、巣鴨に出動。
 気候を読み誤っていた。寒い思いをした。



フジテレビ社長も強く反対 メディア規制3法案
http://www.asahi.com/national/update/0426/037.html
 フジテレビの村上光一社長は、26日の定例会見で、メディア規制3法案について「報道に行政が介入する道を開くおそれがある。テレビ局が困るというより、国民の知る権利が侵されるのが最大の問題」と述べ、強く反対する姿勢を示した。
 日本テレビの放送番組審議会(委員長・半田正夫青山学院大学長)も同日、「憲法21条で保障された表現の自由を侵す恐れがある」と反対する声明を発表した。(asahi.com4月26日)

 まず「メディア規制3法案」という呼び方自体に違和感を覚える。
 この3法案の中に、メディアを規制する内容が含まれていることは事実だが、法案の(少なくとも建前上の)主旨はどちらかといえば「人権の保護」にある。
 それをあえて「メディア規制」というネガティブな印象の言葉で要約しているのは、要するにメディアの側がこの法案をツブしにかかっているからだ。
 ツブしたい気持ちはわからぬでもない。しかし、手口がきたない。
 このデンで行けば、たとえば、「道路交通法」を「自由往来妨害法」と呼ぶことも可能になってしまう。
 結局、こういう無神経な言い換えや恣意的なレッテル貼りが横行しているからこそ、こういう法案が出てくるわけだ。
 ある意味、自業自得だよ。

 ともあれ、メディアは危機感を抱いている。
。  で、民放キャスター7人(だっけ?)が、打ち揃って反対声明を出してみたり、それをまた各局が揃って映像つきで紹介していたりする。
 ふん。
 プロっぽい演出手法ってわけですか?
 でも、必ずしも成功してないとオレは思うよ。
 だって、キャスターさんたちの態度の端々に「権力と闘っている」という自己満足が見えてしまっているから。
 鼻につくね。
 ほかの人はどうかしらないが、少なくとも私は、あのテの「抵抗する私たち」みたいな、いかにもな絵柄に納まっている人たちを無条件に信用する気持ちにはなれない。

 それに、メディアは権力の被害者なんかじゃない。権力を行使しているのは、なによりもまずメディア自身だ。  「テレビ局が困るというより国民の知る権利が侵されるのが最大の問題だ」だとか、奇妙なおためごかしはやめてほしい。
 反対するのならするで「営業権の侵害だ」と、そういう主旨で反対するのがスジだ。
 だって、実際のところは自動車業界がスピード違反の取り締まりに反対してるのと同じことなんだから。
 違うのか?
 あんたたちは営利事業じゃなくて、正義産業かなんかなのか?

 ありていに言えば、国民の知る権利は、情報の隠蔽よりも、むしろ情報の歪曲や偏向報道によって、著しく害されている。
 60年前の戦時下にどうだったのかはともかく、現状では、権力の介入よりも、メディア自身の腐敗(ヤラセ、過剰演出、業界との癒着)や専横(過剰取材、過剰報道、情報独占、記者クラブ体質、互助会取材同盟)の方がより深刻にわれわれを害しているのだ。

 メディアは情報を商売にしている。
 しかも、カーネギー風に言えば、「レモンをレモネードに」することで利益をあげている。
 製造業において、レモンをレモネードに加工することは、まっとうな商売だ。
 が、情報をレモネードにしてもらっては困る。
 あんたたちにそんな権利は無い。

 ついでに申し上げるなら、メディアが行使する表現の自由は、国家権力の検閲よりも、むしろ企業の論理により深く蝕まれている。
   どうだ? 身に覚えが無いか?
 身にタコがついてないか?

 私自身、いくつかの媒体に入魂のヒロスエ批判原稿をツブされた経験を持っている。
 おかげで、2年前の夏は、執筆意欲をほとんど失いかけた。
 音楽誌に連載を持っていた頃は、しょっちゅう原稿の書き直しを要求された(日本のポップス音楽業界では、基本的にはアーティストの悪口はご法度なのですね。特に、雑誌の親会社と緊密な関係にあるアーティストは完全にアンタッチャブルです)。
 つまりこういうことだ。私の表現の自由は、「国家権力」や「官」や「政府」に圧迫されたのではない。ほかならぬメディアによって蹂躙されたのだ。
 であるから私は、そういうキミたちに「表現の自由」だなどという口幅ったいことを言ってほしくない。
 @2ちゃんねるの名無しさん@便所壁新聞記者が言うのならともかく。
 
 表現の自由を叫ぶなら、その前にまず自由な表現ってやつを実現してみてください。

 私からのお願いです。

 
 ところで、私自身はメディア規制3法案を支持するつもりはない。
 っていうか、よく知らない。
 勉強しろよって?
 しないよ。
 オレは自分の責任で自由な表現をする。
 しょっ引くんならしょっ引けば良い。

 どうだ?
 かっこいいだろ?
 無思慮ではあるにしても。


4月27日 土曜日 晴れ
 小野伸二選手の怪我は軽傷らしい。
 よかった。

※イラストのページに掲載した石川選手@Fマリノスの移籍先について、ちょっと訂正。
 てっきりヴェルディだと思っていたのだが、今日のナビスコカップの結果を見ると、なんとFC東京の選手として出場している。
 どこで記憶が混濁したのだろうか。
 とにかく、石川選手のファンの皆さんにはお詫びして訂正しておきます。
 石川選手に対しても遺憾の意を表明するとともに、今後の活躍を祈願しておきます。
 石川よ。ヘナヘナ頑張れ。
 半可通のフィジカル信仰を粉砕してやれ。

 夕刻。練馬に出動。なぜか封筒仕事。ちょっとだけだけど。
 帰途、平和台ダイクマに寄る。出来心でゲームキューブを購入。
 大丈夫。後悔はしない。
 電気の通る物品については、たとえクズをつかんでも私は怒らない。ましてメーカーを責める気持ちになんか全然ならない。
「勉強になった」
 と、失敗を前向きに受け止める覚悟があらかじめできている。
 オタクの心意気。
 マニアのむこう傷。
 IT者の鑑だな。