1月13日 日曜日 晴れ
 終日蟄居。
 GAORAの再放送でフェイエノールトVSフローニンゲン戦を見なおす。
 GAORAはBS朝日に比べるとなんだか画像が悪い。
 圧縮率の問題だろうか。
 スカパーのW杯中継は大丈夫なのか?
 ちょっと心配だぞ。
 
1月14日 月曜日 晴れ

※ブッシュ大統領失神
 テレビでフットボール観戦中にプレッツェルを喉に詰まらせた由。で、頬に擦り傷&唇を切ったんだそうだ。
 ばかばかしい。
 あんまりばかばかしいんでかえってあやしい。
 もしかしたらフェータルな病気なんじゃなかろうか。
 で、隠蔽のためにあえて間抜けな話を作ったとか。
 あるいは、家庭か政権内に深刻なトラブルがあって、思いもよらぬ暴力事件があったとかなかったとか。

 まあ、マジに間抜けなんだろうな。きっと。
 にしても、信じがたい間抜けさではあるが

※成人式各地で荒れる。
 これって、メディアが変に注目するからですよね。彼らが荒れて見せるのは。
 無視すれば鎮静化するんじゃないでしょうか。
 だってドキュンはムカデと同じですから。
 ムカデはムカデ。あえていじならければ無害。余計なおせっかいでちょっかいを出すから痛い目にあう。
 大体、ムカデみたいなものに「背筋を伸ばせ」とかそういうこと言うのって空しくありませんか?
 背筋じたい無いわけだし、仮に背筋じみたものがあったにしても、伸ばしたら歩けなくなるわけなんだから、彼らは。
 
 わかりきった話です。
 ドキュンはテレビカメラなんか向けられると興奮しちゃう。
 で、やむにやまれずヘンな行動に出る。
 ムカデを突っつくのと同じでしょ?
「ほら、やってみろって。注目されてるんだぜキミたちは。それともナニか? TVカメラ写ると思うと荒れてみせる度胸もなくなっちまうってか?」
 挑発だよね、明らかにこれは。
 要するにマスコミは煽ってるわけ。いい絵が撮れるからってことで。
 で、その煽りに乗るバカがいる、と。
 あきれてみせているキャスターの皆さんも同じアナのムジナ。
 いっそタイトルをつけてバラエティーで展開しよう。
進ぬ電波成人
 ってことで、一月中旬限定のレギュラー番組化決定。

 なんならスポーツイベントにしても良い。
 地方予選を勝ち抜いた選り抜きのドキュンが激突。
全国新成人無礼講選手権
 決勝は甲子園球場。
 ゲスト解説者には辰吉丈一郎。アシスタントは工藤静。
「今年は大本命の大阪と新興勢力沖縄の一騎打ちという見方でいいのでしょうか。どうでしょう辰吉さん」
「ナメとんのかオノレは。××が甘いっちゅうねん。×××の××を××タオしてかからんと××が××せんやろが」
 ま、放送不能だな。
 

1月15日 火曜日 晴れ
 巣鴨に出動。
 帰途、池袋の上州屋にて釣竿を物色。
 いや、私がやるわけではありません。
 頼まれてもあんなもの。
 仕事の方がずっと好きです。

 ロッドやらリールが安いのにびっくり。
 こんな値段でモトが取れるのだろうか。
 アウトドア用品もウソのように安い。
 日本経済は大丈夫なのだろうか?
 というよりも、オレたちは長い間だまされていたのかもしれない。
 20年も前に何万円も出してスキー靴を買っていたオレはたぶん阿呆なのだろう。
 思えば2流のスコッチや安物のバーボンにもずいぶん無駄なカネを使った。
 数々の悪夢は、関税酔いの悪影響から生まれたものだったのだろう。
 バカな青春だった。
 もっとも賢い青春は青春ではない。
 賢者の青春。
 形容矛盾。
 室内用登山靴みたいな。
 寝よう。

1月16日水曜日 くもり時々雨
 久々に雨。
 なんだか空気が奇妙になまあたたかいなあと思いつつネットのニュースサイトを見ると、おお,

※ノルウェーの財務相、同性愛者の男性と結婚
http://www.yomiuri.co.jp/05/20020116i313.htm
 というニュースが載っている。
 なるほど。
 彼の国では同性のカップルが夫婦と同等の権利を認められているのであったか。
 日本では夫婦別姓さえいまだに認められていないというのに、えらい違いだ。
 ん?
 問題の性質が違う?
 そうだろうか?
 私は夫婦別姓と同性婚はほとんど同じ問題だと思う。
 というのも、性と姓とはいずれも家族制度の構成要素であるところのクルマの両輪だからだ。
 夫婦別姓に反対している人たちは、要するに「家族」という単位ないしは家族制度を基盤とする国家のなりたちが崩壊することを恐れている。であれば、彼らは同性婚にも反対するはずだ。なんとなれば同性愛者の結婚は、家族制度の崩壊どころか生物学的レベルでの種の危機をさえはらんでいるわけだから。
 ともあれ、夫婦別姓反対論者は「個」よりも「共同体」に「自由意思」よりも「秩序」により高い価値を見出そうとしている人々なのであろうと思う。
 それが悪いとは言わない。
 しかしそりゃ木っ端役人の哲学であって市民の思想ではない。
 っていうか、漁師の思惑であって大海の遊泳者たる魚の理想ではない。
 わからないか? わからないならいいんだ。
 ともあれ、オレは一匹のバショウカジキとして、自由な遊泳を貫徹する所存だ。イワシの諸君がどう考えるか、あるいはヒラメやタコや網元の娘がどんなふうにふるまうのかは、まあ人それぞれだろう。勝手にしてくれたまえ。

 国家の法制度においては、あくまでも個人の自由意思が最大限に尊重されなければならない。でないと近代国家の建前が台無しになってしまう。
 もちろん個人の自由意思が公共の利益に反する場合は多々ある。
 また、共同体の基盤となっている価値なり文化を共有していないところに人間の社会は成り立たない。
 当然の話だ。というよりも、そもそも個々人の自由意思と公共の利益が余儀なく対立するものであるからこそ、われわれは国家なるものを発明せねばならなかったのだ。
「とすれば、国家を創設した以上、その国家に参画する市民は、当然の義務として自らの自由意思の制限を受けいれるべきなのではないのか?」
 ふむ。
 理屈としてはあんたの言うとおりだ。
 が、それはあくまでも国家を主語とした場合の言い方あって、一市民であるオレらが言うセリフではない。
 あんたのご意見を敷衍すると「国家の存続のために、国民は一命を捧げなければならない」といういことになる。
 いや、実際こういうことを要求している国はたくさんあるし、うちの国もちょっと前の戦争の時には「一億玉砕」みたいなことを言っていた。
 しかしそりゃ本末転倒だよ。
 だって、そうじゃないか。一億が玉砕した後に残るのは何だ?
 国民の居ない国か?
 そりゃ何だね?
 たとえばの話、私が雨露をしのぐために小屋を建てたとする。
 とすれば、小屋の保守営繕は、住んでいる人間である私の当面の義務になる。それはわかる。  私とて窓の補修ぐらいのことはするだろう。快適に住みたいってことなら壁に絵ぐらい描くかもしれない。
 しかし、ある日洪水がやってきて小屋が流されるってなことになったら、オレは小屋を捨てて逃げるね。
 そりゃあもう、一もニも無く、後ろも見ずに逃げるよ。
 だって、小屋を守るために死にましたなんてのは、美談で何でもないだろ?
 かたつむりだって殻を踏み潰されたらなめくじになって逃げるんだぜ。いやこれはちょっと話が違うけど。

 そもそも小屋はオレを守るためにオレが作ったものだ。その小屋を守るためにほかならぬオレが死ぬというのはいかにも倒錯した話だ。
 な、わかるだろ?
 国の方がオレを守るべきなのであって、オレが国を守るというのは話が逆なのだよ。
 酒は飲んでも飲まれるな。
 下駄は履いても履かれるな。
 そういうことだよ。

「話を矮小化してはいけない。国家は個人所有の小屋ではない。もっと偉大なものだ。しかも単なる利便のための道具でもない。国家は文化と価値と伝統のよりどころたる民族の宝だ。そのかけがえのない人間精神の精華であるものをおのれ一人の利己心よりも低く見る見方は浅薄であるのみならず、危険かつ有害かつ唾棄すべき……」
 うむ。
 ご苦労さん。立派な演説だった。
 でも、あんた、なんだかピクミンみたいだぜ。
 働きバチのようでもある。
 ためしに、蜂の巣から蜂蜜を取ろうとしてみろよ。
 あんたみたいな働きバチの大群が、自らの命をかえりみずに群がってくるだろう。
 見事な生き物だよな。
 バカだけど。
 だって、蜂にとっては、蜂自身よりも巣の方が大切なんだから。
 ってことは、蜂ってのは、ありゃ巣の部品みたいなもんなわけだ。
 あんたが国家の部品に過ぎないのと同じ意味で。

 小屋は小屋だ。住み後心地が悪くなったら壊せば良い。小屋の住まれ心地のために人間が壊される必要はない。

 とはいえ、小屋がデカくなって住む人間が増えると、話はちょっと複雑になる。
 小屋には専任の管理人が常駐することになる。
 と、その管理人は、「小屋を守るために命を捨てろ」てなことを要求するようになる。
 と、ここに「小屋の方がそこに住んでいる人間よりも偉い」という奇妙な哲学が萌芽する。
 人の好いヤツはそのまんま信じるかもしれない。
 でもって、風の強い日なんかは柱を支えながら立って眠るのかもしれない。
 うん。立派なヤツだよな。
 バカだけど。
 で、キミは小屋の管理人なのか?
 住人だろ?
 だったら自分の命より小屋の方が大事だなんていう情けない考え方はやめたほうがいいぜ。
 奴隷船でさえ船を漕ぐ奴隷が死に過ぎると経済効率的に成り立たないんだから。
 船長でもないあんたが、船漕いで死ぬことを美化してるんだとしたら、それこそ奴隷根性ってことにならないか?
 ん? 価値あるもののために死にたい?
 いますぐ死ぬといいよ。
 たとえば、地球環境のために、とかで。

 結論を述べよう。
 法の上ではあくまでも個人の自由意思が最も高い優先順位で守られるべきだ。
 なんとなれば、公共の利益や秩序が、国家の提供するサービスに過ぎないのに対して、個人の自由は国家の存立理由であり至上目的であるからだ
。 「ってことは、あんたは秩序を享受する一方で自由を制限されることを好まない、とそういうわけか?」
 その通り。
 順序を間違えてはいけない。
 第一はオレの自由。
 そして、第二がオレたちの秩序だ。
 つまりオレたちの秩序は、オレの自由に抵触しない限りにおいて、保障されるべきものだ。
「って、お前それファシストの言いぐさだぞ」
 その通り。すべての人民が自分自身を首領とするにファシストであるような国家こそが真の民主国家なのである。
「単なるアナーキストの群集になると思うぞ」
 うむ。そうかもしれない。群集国家。いいじゃないか。ゾクの集会みたいで。

※ファッションリーダーのhitomiが渋谷の歩行者天国に現れ、ヘソ出し悩殺着物ルックで新成人に強烈アピール
http://www.sanspo.com/geino/g_top/gt200201/g_top2002011503.html
 なんだこりゃ?

「ファッションリーダーの誰某」という言いまわし自体、日本語表現としてファッショナブルじゃないと私は思うのだが、どうだ?
仮にファッションリーダーみたいなものが実在するのだとして、そういうのについていく連中って、どうしようもないイモだぞ。
じゃあファッションリーダーご本人はどうなのかといえば、イモの親玉なわけだからして、ダサいに決まっている。

 だいいち「ヘソ出し悩殺着物ルック」ってのは何だ? 着物なのか?
 ヘソ出しは着物に対して失礼だし、着物はヘソに対して失礼だぞ。
 スポーツ新聞の記者というのはこういうモノに「悩殺」されるのか?
 ついでに言えば「悩殺」自体、死語だぞ。
 あんたらは脳死してるのか?
 
  

1月17日木曜日 はれ
 3時より湯島で打ち合わせ。
 湯島天神とラブホテル街に隣接したあたり。
 それにしても、菅原道真公に合格祈願をしても無駄だと思うのだが。
 あの人は学問があったにもかかわらず左遷されて不遇に終わった人間だ。
 しかも、左遷されてなお中央に未練を残して、「東風吹かば」とかなんとか、恨みっぽい歌を詠んだりして物笑いのタネになった人だ。
 およそ受験生のためにひと肌脱ぐようなメンタリティーの持ち主とも思えない。
 帰りは南北線の東大前まで歩いてみる。
 徒歩15分ほどの道のり。
 つま先が痛くなった。


1月18日 金曜日 晴れ
 午後1時より、赤羽にて打ち合わせ。
 夕刻、巣鴨に出動。


1月19日 土曜日 晴れ
 ダイエーがヤバいようだ。
 確かに、赤羽のダイエーもずいぶん前から活気がない。
 品揃えも微妙に薄い。
 特定の商品ばかりが大量陳列されていて、品種が少ないような気がする。
 まあ、だからってどうってこともないんだが。